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縄文と弥生と古墳時代の境目
183480 朝鮮半島の民族移動と日本への影響(倭国大乱)
 
山澤貴志  ( 43 鹿児島 ITコンサル ) 08/08/18 AM01 【印刷用へ
引き続き、塚田敬章氏による「古代史のホームページ」リンク  より、朝鮮半島の民族移動と日本への影響(倭国大乱)について。

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●朝鮮半島の民族移動と日本

おそらく、朝鮮半島では、有史以前から、大柄の北方アルタイ語族が南下し、北上する小柄なマライ・ポリネシア系民族と混血する過程を繰り返していたのでしょう。やがて、周の建国時に殷人が朝鮮に移住し、その後、春秋末期に、王族(姫姓)に率いられた呉人が大挙移住しました。呉人(倭人、汗人)は朝鮮半島の西部から南部に色濃く展開していたようです。呉人は北方から東方へ追い詰められ、山東半島先端部から海を渡ったと考えるのが最も自然でしょう。韓というのも、呉人に対する一表現なのです。

やがて、秦の始皇帝25年に楚、越は平定され、翌年、斉が滅びて春秋戦国の長い戦乱に決着がつきます。始皇帝32年、「秦を亡ぼすは胡なり。」という方士の言葉を信じた始皇帝は、将軍、蒙恬に胡を討たせ、34年には長城の建設にとりかかりました。この時、長期に渡って抵抗を続けた楚人、越人を、遼東半島に強制移住させ、長城建設に酷使する方策を採ったのです。その労役に数年間苦しんだようですが、始皇帝死後の混乱に乗じ、この人々は北や南へ逃亡しました。北方に向かった者は濊(=蓋。夫余)を建国しましたが、南方に逃がれた者は馬韓に達し、馬韓が割き与えた東部の土地に雑居して集落を作っていたのです。越人は辰韓、楚人は弁辰と呼ばれています。

さらに時が流れ、漢の武帝により、江淮の間に強制移住させられていた越人が、新たに朝鮮半島、馬韓に移動しました。数代を経て、この人々が後漢の安帝、永初元年(107)の少し以前、面土国王帥升に率いられ、福岡県の津屋崎周辺に渡来し、奴国と戦ったことは既に記した通りです。
その後、出雲に移動し、そこで勢力を培ったこの一族は、大和に進出して覇権を握り、邪馬壱国を建てたのです。漢に出自を持つことから、漢氏。あるいは、文字を伝えたことから文氏と呼ばれています。

それ以前に、同系の辰韓人も日本に渡来して、出雲に国を作っていたらしく、オオナムヂ神が出雲で国造りをした後、海原を照らしてその幸魂、奇魂が出現したと表され、出雲ではオオナムヂ神が二重になっています。
後から来た幸魂、奇魂が御諸山に住みたいと言って大和に移動したわけで、この過程が倭国大乱と表された戦乱に他なりません。漢氏、文氏が同族であることは坂上系図から明らかに出来ます。

倭国大乱は、越人(オオナムヂ)と呉系楚人(スクナビコナ)が同盟し、先住の呉人に対抗したものです。呉人の国を滅ぼした後、卑弥呼率いる邪馬壱国の越人と、卑弥弓呼素率いる狗奴国の呉系楚人が仲間割れした。

オオナムヂ、スクナビコナは共同して国造りをしたが、やがて、スクナビコナは粟茎にはじかれて常世の国へ行ってしまった(記、紀神代)。つまり、スクナビコナは破れた。そのあたりの出来事が魏志倭人伝に記されているわけです。
 
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