Toron talker リンクという韓国ファンの方のサイトに、古代朝鮮言語に関する文献調査をまとめた「文献に見る古代朝鮮の言語」リンクというページがあった。その中から、三国志などの中国古代史料による古代朝鮮半島の言語、出自、風習に関する記述部分を抜粋引用・列挙してみる。
以下、引用(【 】のタイトルは引用者追記)
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【高句麗の言語と出自】
『三国志』は、高句麗の言語は、夫余と同じと記している。
「東夷の旧語は、夫余の別種となす」とも記している。高句麗の広開土王碑文も、高句麗の始祖は、北夫余の出身であると記している。
『魏書』『周書』『隋書』などの中国史書も、高句麗は夫余から分かれて出たと、記す。『旧唐書』も、高句麗を「扶余の別種」と記す。
夫余は、『三国志』に、戸8万あったと記されており、中国東北地方(満州)の地にいた。夫余国は富み、栄えた強国で、中国にもたびたび貢献している。ちなみに、『三国志』は、高句麗の戸数を3万と記す。
【三韓の言語と出自】
辰韓−−−後世の斯廬(しら)、新羅
慶州に都を置き、言語は馬韓(後の百済)とは異なっていた。新羅は後に、強大となり、隣国の加耶(弁韓)を合併し、さらに百済を降ろし、北上して開城に都して、全朝鮮半島をその勢力圏に収めた。従って辰韓の言語は、高句麗の言語圏にあった地方にも浸透し、辰韓系になった。この新羅語が現在の朝鮮語の根幹となる。
辰韓伝の中に、「東方の人、我を名付けて、阿(あ)と為す」とある。
弁韓−−−後の加耶
辰韓の人と雑居していて、言語、法制、習俗は似ていた。
加耶は辰韓に滅ぼされ、言語も辰韓の影響を受ける。
弁韓伝の中には、「国、鉄を出す。韓、シ歳(わい)、倭、皆従いてこれを取る」とある。また、「皆、男女、倭に近し。亦、文身(いれずみ)す」とある。弁韓の鉄は周辺の国から求められた。北九州の王族も鉄のために弁韓を重視した。
馬韓−−−後の百済
梁書百済伝に「言語服章およそ高句麗と同一」とある。周書の百済の条に、民衆は王族と別の単語を使った例が記載されており、高句麗は、支配階級に力を及ぼしていたのだろう。
百済本来の言葉には母音終わりが多かったらしいので、日本語との類似が考えられる。タミル語関わりも考えられる。
【百済の言語と出自】
『隋書』は、百済王の祖先も、高句麗から出て、夫余の人達が、それに仕えた。と記している。『旧唐書』は、「百済国は、もともとは、夫余の種族が建てた国である」と記す。
『新唐書』も、「百済は夫余の別種」と記す。
『梁書』は、
「百済の言語と服装とは、ほぼ高句麗と同じである」と記す。
『周書』には、「百済は、その始まりが、おそらく馬韓の属国の一つであり、夫余系の種族と思われる」と記す。また、王の姓を、『夫余氏』と言う、と記されている。
さらに『隋書』には、
新羅も、高句麗人達が作った国である。と記されている。
高句麗は、夫余から分かれ、百済や新羅は高句麗から分かれたというような記事からは、夫余民族が次第に南下している様子が窺われる。
わい人も、もとは、北の夫余国(旧満州の地)にいたものが、朝鮮半島に移ったようである。夫余民族が南下して、現代の朝鮮民族となり、朝鮮半島の南部にいた倭人は、玉突き式に、次第に押し出されて、ついには、日本列島に押し込められたようにみえる。
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引用以上 |
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