前稿に続いて、新井直樹氏の論文に日本建国とその為の記紀の分析、日本の歴史を解明をする上で重要なポイントを紹介させていただきます。【】内は私が付け足しました。リンクより
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【万世一系の本当の意味とは?】〜日本文化とは同化の歴史
・「万世一系」を示す「記紀」の方針から、オオクニヌシ・アマテラス・スサノオは異な種族にもかかわらず、神話の中ではいろいろな表現を用いて、無理を重ねて関係付けられている。例えば、スサノオとオオクニヌシは親子、スサノオとアマテラスは弟姉、スサノオとアマテラスは誓約(うけい)によって神を生んだとかである。特に誓約などは全く意味不明の表現で苦し紛れとしか思えない。なんとしてもアマテラスが最高の神であるというところに持って行きたいための「からくり」を使っている。
記紀神話は古代日本の形成を調べる上で最重要な史料ではあるが、そこに含まれている「からくり」を見極める必要がある。日本創世神話に出てくるアマテラスをすべてスサノオに置き換えるとよい。スサノオの業績を分割してアマテラスの業績にしていると思われるからだ。一人分の業績を神武と崇神に分割しているという記紀で使われている「からくり」がここにも使われている。
・朝鮮半島の三国の建国に刺激されて古代日本も建国されたと見るのが自然だろう。それらの建国時期は 新羅 356年/百済346年/加羅369年である。すると、古代日本の建国は370−390年と推定される。応神天皇時に対応する。しかし、大王による全国支配の確立は7世紀以降まで待たねばならないようだ。
・「記紀」には他の史書に書かれていることをわざと記述していないと思われるものがある。例えば、銅鐸、邪馬台国・卑弥呼、倭の五王、藤原氏の出自、天武天皇の出自などである。これらの「からくり」を見破ることが重要である。藤原鎌足の出自は百済王族の豊璋であるとか、その子とされる不比等は本当は天智天皇の子であるとかは重要である。(天智の子を宿した采女を鎌足に払い下げたとか)。「紀」には、天武は天智の弟とあるが、天武の方が年長というのが本当らしい。母である斉明天皇が舒明天皇と再婚するときの連れ子である。本当の父親は誰かが重要。新羅人である高向玄理という可能性が高い。
・中国正史「宋書」の「倭の五王」を見た記紀の編纂者は従来やってきた天皇の即位期間の引き延ばし策を採ることができなくなった。そこで倭の五王を記紀には記述しなかった。また、五王の最初の王「讃」に相当する大王以降の即位期間の記述を、従来の水増しした期間ではなく、正しいものを書くように改めた。17代履中以降は水増し無しの正しい即位期間を示しているようである。
・3世紀初から7世紀頃の間は、政権の交代などがあったと思われるのにもかかわらず、前方後円墳という墓制が維持された。この理由は二つ考えられる。
一つは、政権交代があったとしても同族同志であった。すなわち半島渡来の天津神同志であった可能性である。もう一つは、こちらが重要だと思うのだが、古代日本においては後から来て政権を握っても文化的には旧来の文化に同化されてしまう、すなわち、旧来の文化が魅力的であったということである。古くは、スサノオが弥生文化を持ってオオクニヌシの縄文文化を征服することはできず、結局は両文化が現在までも維持されてきた。新来の文化が旧来の文化を駆逐するすることがなく、両者が持続するというのが日本文化の特徴のようである。
縄文文化のよさが今も残る日本の文化は自慢すべきものである。
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氏の書かれた魅力的というのは現代的?な表現のようにも思うが、”新来の文化が旧来の文化を駆逐するすることがなく、両者が持続する”と表現された点は正鵠を得ていると思う。
これは日本人文化そのものが縄文時代から渡来民文化である事の象徴であり、来る側も受け入れる側も共に受け入れ体質=同化体質を色濃く残存していたという事の表れではないか? |
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