疑問の二つ目、良渚の衰退原因は寒冷化なのか大洪水なのか自滅なのかについて。4000年前に世界的な寒冷化が起きており、メソポタミアやインダスが滅び、古代エジプトが第一中間期と呼ばれる暗黒時代を迎え、三内丸山が消滅するのも同時期ですから、寒冷化が主因と考えていいと思います。
黄河流域で興った4300〜3600年前の黒陶文化(龍山文化)と呼ばれる大小国家群の一つ、夏王朝との関係ですが、洪水を逃れた江南人が北上して、馬の文化と溶け合って成立した可能性は低いと思います。長江下流域ではその後も馬橋文化(4000〜2700年前)が続いていますし、寒冷化に対しては南下するのが通常だからです。
黒陶文化は、山東半島と河南を中心として、山西南部を経て西は陜西省に達し、北は遼東半島から、南は浙江北部(長江下流域の南部)にまで及んでいます。遊牧部族に支配された、またはそれに対抗して武装化した漢民族が群雄割拠している状態で、江南農耕民からすればむしろ、黄河流域から押し寄せる金属器文化の奔流に抗して大同団結したでしょう。馬橋文化期の江南農耕文化が、広範囲に渡って比較的均質であることは大同団結を示唆しています。
夏王朝に良渚文化の影響が見られるとすれば、それは掠奪の結果だと思われます。
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