私権社会発祥の起爆剤が遊牧民族にあり、その後の玉突き的な闘争過程を経て私権社会にたどり着いた・・そのことは実現論ですでに提起されていますが、可能な限り遡って歴史的事実とすり合わせ、いつごろどのような形でどのようなメカニズムでという辺りが当面のこの会議室でのテーマだと思います。最近の皆さんの投稿と数冊の著書のかじり読みから組み立ててみたいと思います。
農業革命の時期を見てみたいと思います。
以下、安田喜憲氏の著書「大河文明の誕生」からの転用。
>16000年前最終氷河期の温暖化によってまず採取部族発で森での食料に恵まれた安定した生活形態から定住化が定着する。この定住生活が植物利用の技術を獲得することになる。植物利用の技術は時に初期的な栽培技術を編み出し、初期の稲作は長江中流域で15000年前に存在していた可能性まである。
その後12800年前に急激な寒のもどりであるヤンガードリアス寒冷期によって食糧危機に直面し野生の麦を求めて森から草原へと集団の移動が起きる。野生の麦はその植生から森林地帯の周辺に点在しており、12000年前草原での定住化と同時に既に植物利用の技術を備えていた人類は麦作の栽培を発見する。この時期に人類は劇的な農業革命を迎える。稲作と麦作はその後並行的に進んでいくのであるが、稲作が高密度な労働を要するのに対し、麦作は広大な草原を少ない人数で粗く耕作することが可能であり、家畜を初期から伴っていた。(以上抜粋)
温暖化が進み、その中でも水と土に恵まれたメソポタミア地域では人口の増加と共に集団の統合が緩み、自我の発生と同時に反集団分子が集団から離れても生存していける状況を生み出す。
このように家族的小集団で農耕集団から飛び出した遊牧民族が独立(離脱)して発生するのである。
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