さらに続けて「長江文明」について調べてみました。
●長江文明が生まれるまでの地球環境
いまから1万5千年前より気候が温暖化していく。その後、ヤンガー、ドリアス期と呼ばれる寒の戻りがあって、1万年前から6500年前ぐらいまで、ヒプシサーマルという高温な時期を迎える。この時期は地球の気温はいまよりも2〜3度か高くなっていた。その温暖な時期が、長江流域ではいまから6300年前頃に一変する。長江流域は突然乾燥化しはじめたのである。温暖な時期には南西からアジア・モンスーンが夏雨を大量に降らせていたが、アジア・モンスーンの力は6300年前以降は弱くなってしまったために雨が降らなくなったのである。
この時期、すでに長江の中流域では巨大な農耕集落ができていたのと思われる。湖南省の彭頭(じょうとう)山遺跡は、1万年前から環濠をもった集落を形成していたことがわかっている。水田では稲をつくっていたが、気候が乾燥し干ばつとなると稲作は危機を迎える。
6300年前に起こった乾燥化の中で長江流域の人々はどうしたか。彼らは、城塞の後ろにため池をつくり、ため池によって水の灌漑をコントロールするようになった。
城頭山遺跡を見てみると、湿気の多い沖積平野につくられてはいない。遺跡があるのは、段丘の上である。段丘にはアワが栽培され、谷底には田んぼが作られている。そして水を管理するのは、城頭山遺跡のある城塞である。
城頭山遺跡の城塞は少なくとも6300年前に出現していたことは明らかになった。
すなわち、6300年前には城塞とその背後に灌漑用のため池をもった都市型集落がこの地に作られていたことになる。
このように考えると長江文明は6300年前に誕生したいた可能性が高くなった。そして長江文明の誕生の契機になったのは6300年前の気候変動である。
●長江文明の誕生とメソポタミア・インダス文明
それでは、なぜこのときに長江文明で都市文明が誕生し、メソポタミアやインダスでは誕生しなかっつのかという疑問が残る。
その理由としては次のようなことが考えられる。最近になってわかってきたことだが、世界規模での気候の変動はモンスーンに影響を及ぼす。つまり西アジアより東アジア・エジプトなどの西アジアで都市文明が誕生するまでに、500年〜600年の時間差が生じたのではないかと指摘されるようになってきた。さらに気候変動に対する適応性も西アジアの方が早かったのではないか?西アジアで麦作農耕が始まるより前に、東アジアでは稲作農耕が開始されていた可能性が高かった。また西アジアで土器で広く普及するのは約9000年前のことであるが、東アジアでは約1万9000年前には土器が出現していた。
野蛮・未開とさげすまされてきた東洋のほうが、じつは土器の作製も、農耕も、そして都市文明の誕生も早かった可能性がでてきた。少なくとも、土器の誕生については東アジアの方が早い。
麦作・牧畜の文化こそが文明を切り開き、人類を発展に導いたとしている西洋中心の文明史観を大きく変更しなければならないかもしれない。
引用:「古代日本のルーツ 長江文明の謎」安田喜憲
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