2006年10月24日

縄文集団が小規模なのはなんで?

こんばんは~、谷光です。 Very Happy

しばらくインダス文明が続きましたが、縄文も追究続けます tikara

と、言っても、、、 あぁぁ m081
今日はみんなで鷲田豊明氏の『日本社会システムの起源』を読んだのですが、なかなか理解できず・・・。そこでみなさんに質問 m049 してみようと思います。

どれどれ、答えてやろう Razz と思ってくれた方は、ポチっとお願いします m027
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論文を読むと、縄文時代の単位集団は小規模なまま長い間存在し続けたらしいのですが。。。

外圧が緩んだ集団 m036 は、自然と人口が拡大するもの m148 m149 というイメージがあるんです。

温暖化して人口が増加していき、推定人口26万人のピークを迎える中期であっても、
単位集団あたりの人口の拡大は無かったのでしょうか?

無かったとしたら、それは な ぜ ?

人口が増えると共認統合しにくくなるので、あえてそうしなかったのかな?
それとも、人口が増えたら新しい集団に分派したのかな?

ご存知の方いらっしゃりましたら、教えてくださーい! love
ヒントでもいいです。
ちなみに鷲田氏にも問い合わせメールを送ってみました m142 m143

投稿者 mituko : 2006年10月24日 23:44  

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コメント

鷲田豊明氏は論文で「縄文時代の集団規模は、共同性規範が行き渡る範囲で決まる」と仰っているようです。
要約は以下を参照してください。↓
http://www.jinruisi.net/blog/2006/10/post_26.html

ただ三内丸山(5500~4000年前)の人口は最大500人とも言われており、小規模とは言い難い規模です。
鷲田氏の説は、いつの時代のどの地域のことなのかを確認する必要を感じます。

投稿者 岡 : 2006年10月25日 16:13

岡さん、コメントありがとうございます!

紹介されたところからの引用ですが、

>縄文時代の集落が小規模のままであり続けたという事実から読み取るべきことは、社会的な格差や個人の権威の突出を拒否し、平等性原理にもとづいた社会関係を維持しようとする確固たる姿勢である。彼らにとっての集落の理想像は、より大きな集落を作ることではなく、少人数でしか維持できない人間関係が維持されることにあったのだろう。

なるほど~。平等性っていうのちょっと?ですが、顔の見える範囲というか共認形成がはかりやすい範囲にあえて留めおいたと考えると繋がりますね。

鷲田氏からもメールの返事を頂きました。
三内円山は特殊との見解で、採集狩猟を通して多様な自然の
恵みを得ていくためには、自然に応じて分散集団化することが、もっとも効率的な存在様式だったのではないか?とのことでした~。

縄文だけでなく、狩猟採集民(現存する集団でも、昔のでもいいのですが)の集団規模ってどうなんだろう?その規模は世界共通なのかな?とか、
分散化するとしてもどんな基準で?など興味が沸きました(^^)。

投稿者 谷光 : 2006年10月26日 12:08

なるほど。小集団でいるのはなぜか?確かに不思議ですねー

ちなみに、縄文時代は外圧は総じて高かったのではないか?と思ってます。

ちわわさんが次に投稿されていた人口推移を見ると、末期は減少してます。

だからこそ、より小集団化して様々な方向へ適応しようとしたんじゃないでしょうか?^^

投稿者 さーね : 2006年10月26日 21:57

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