2007年02月03日

土偶は縄文人が観た精霊の姿

みなさん、多彩な表情の土偶に何を感じますか?

doguu8goo.gif haatodai.gif kamegaoka.gif
mimizukumamuros.gif rafu.gif mimizukusinpukus.gif
yamagata.gif shakoukigensun.gif thuukuu.gif
(写真は「庁鼻和窯ほーむぺーじ」さんからお借りしました)

こんばんは、くまなです。 Very Happy

土偶は、縄文人が思い描いた「精霊」そのものではないでしょうか。
その豊かな表情を見ていると、そんな感じがしてきませんか?

感じた!と思った方は m118 ポチッとお願いします。
        Blog Ranking


土偶=精霊だと考えれば、その異様さも多彩さも納得できます⇒参照土偶の写真集(上記写真)、縄文人の表情

土偶の多くは女性(多くは妊婦)を表わしています。
産む性としての女性に精霊との近しさを見出していくのは自然だし、その偉業に集団が感謝し、精霊にも感謝したことは容易に想像できる。成熟した女性のチャネリング能力が精霊との近さを感じさせたこともあるでしょう。

土偶の多くは目はつり上がっています。参考⇒縄文中期の土偶たち
縄文人にとって、精霊(≒自然)は厳しいものでもある。だからこそ祈り、応望する。そして精霊は期待に応えてくれる。だから怒り一辺倒ではない。そのような精霊の存在が、土偶の表情に表れているように思います。

土偶の多くは割られています。割ることを前提に作られているようです。
どうして精霊を‘割って’しまうのでしょうか?

妊婦の埋葬品といった‘死者の鎮魂’の説は説得力があると思います。ただ、それは頻度から想像して特別な場合ではないかと思います。大半は「精霊を皆で分かち合うため」ではないでしょうか。(↓参照)

土偶は遺跡から完全な形で出土する例は稀で、ほとんどは壊された状態で見つかります。富山県八尾町長山遺跡の土偶の多くは頭部・腕・胸部・でん部・脚部を別々に作り、それらを組み合わせて一体の土偶を作っていることがわかっており、土偶は壊されることを前提として作られたと考えられています。

土偶のまつりはムラの広場や聖なる場所で行われたと考えられます。“まつり”で土偶を壊した後、まつりの参加者は壊された土偶の一部をそれぞれ持ちかえり、廃屋になった住居の窪みやムラの各所に納めたりしました。あるいは自分の住居の中に埋めたり、そのまま置いたりもしていたようです。

土偶は作られることによって「生命」を授かり、魂が宿ります。その霊魂を広くいろいろな場所に配布できるように、土偶は壊されるのです。土偶の破片の配布は、聖なる「よみがえり」の力を広くムラ社会全体に及ぼすとされています。


縄文土偶のまつりより


また、土偶は人口が急増する中期に爆発的に作られます。(参照遥かなる縄文

縄文人にとって、精霊への祈り⇒まつりは集団の結集軸であり、集団統合の紐帯です。
縄文中期の人口増 m096 →集団拡大→結束力低下 m097 に対して、集団の統合力を維持しようとするために「まつり」が盛んになり、そこで使われる土偶も増えたのではないでしょうか。

土偶や土器などの形態・文様が次第に具象化し、派手になっていくのも、まつり≒祈りの収束力を高めようとした表われだと思われます。また、その後の人口急減期には、「怒り」の表情が表われるようです。(↓参照)

土偶は、魔よけや動植物の繁殖、子孫の繁栄を願って製作されました。しかし、縄文中期には全国に26万人いた人口が、後期から晩期には7万5千人にまで急減したと推定されています。藤田富士夫氏は、縄文人がこの事態を新しい祭式を導入することによって乗り切ったと推測しています(「生と死の姉妹土偶」富山新聞2003年6月10日)。

これまでの土偶や石棒などにたよった祭式に加え、縄文人はもっと強力に神や精霊に問いかける方法を編み出しました。人間が仮面を装着し、直接精霊となって災いや願い事に速やかに答えようとしたのです。真脇遺跡(石川県能登町)からは天狗のように目をつり上げて怒りをあらわにしている土製仮面(縄文後期)が出土しました。顔を仮面で覆い、呪術者が精霊に化身したと推定されています。 この仮面祭祀が盛んに行われるようになることで、それまでの土偶の姿にも変化がおこりました。仮面を装着した土偶を製作することで、より一層の呪力や効果を期待しました。

土偶が大型化し、独鈷石や石刀、石剣などの祭祀・呪術的な遺物が増え、桜町遺跡(小矢部市)のように祭礼の場とみられるウッドサークル(縄文晩期)が造られるなど後期~晩期は縄文時代の精神文化が色濃く表れてきます。


縄文土偶のまつり その2より


精霊の怒りの表現は、縄文人が精霊に応望しようとした心の表われなのでしょう。


応援よろしくお願いします。 m118 ポチっと Very Happy
            にほんブログ村 歴史ブログへ

投稿者 kumana : 2007年02月03日 17:00

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.kodai-bunmei.net/cgi/mt-tb.cgi/129

コメント

おーなるほど。くまなさんすごい!
土偶の謎がどんどん解明されていきますね。
土偶とは精霊そのもの。
そう考えるとすっきりです。

そして精霊とは決して天使や聖母ではなく厳しくていびつで時にかわいらしい、まさに集団や外圧のありようによって多彩な表情があったのだと思います。

縄文人に少し近づけたような気がします。

投稿者 tano : 2007年02月03日 18:28

tanoさん、こんにちは。

そう、土偶を精霊と考えると、縄文人の意識に近づける気がするんです。

また、興味深いのは、弥生時代への移行とともに、土偶が姿を消すことです。

精霊が観えなくなったのか、観なくなったのか。
「まつり」が廃れたのか。
そのあたりの状況も明らかにしておきたいところです。

投稿者 kumana : 2007年02月05日 00:40

ムラの中でのマツリゴトで皆の一体感を高める、特に子孫繁栄に関わる生殖と土偶が強く結びついているっていうのはとても納得できます。

そうすると、ヒスイなどのヒカリものは、ムラごとの結びつきをつくり上げていくためのものだったのかも。

いずれにしても、縄文の人々は、周りのもの全てにとことん同化していたのだということがよくわかりました。

投稿者 konta : 2007年04月16日 12:57

コメントしてください




保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)