2007年06月13日
日本最古の武器
くまなです
前回の日本における戦争の起源の続きです。
前回、戦争の証拠の1つとして「武器(人をあやめるための専用につくられた道具と、それから身を守るるための防具)」の存在があることを紹介しました。
■日本における最古の武器はどこにあるのか?
いま確認できる列島最古の武器は、「最古の水田」として有名な佐賀県唐津市の菜畑遺跡(2500~2400年前)から出ている。ホルンフェルスとよばれる目の細かい堆積岩を磨き出して作った短剣と矢じりだ。
これらの武器は、朝鮮半島の南部で使われていたものと同じで、朝鮮系の磨製石剣・磨製石鏃とよばれている。
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菜畑遺跡から出土した短剣

同時代の韓国の代表的な磨製石剣
おそらく、かれらが故郷の朝鮮半島からもってきたのだろう。人を傷つけるための武器は、稲作の文化といっしょに朝鮮半島から伝わってくることによって、はじめて日本列島に現れたのだ。(「人はなぜ戦うのか」松木武彦より)
戦争の証拠。次は「武器によって殺されたり、傷つけられたりした人の遺骸」です。
■最古の戦争犠牲者(武器によって傷つけられた人の遺骸)
このうち、磨製石鏃が遺骸に突きささった例が、福岡県志摩町の新町遺跡で見つかっている。弥生時代の初め頃の、木の棺に葬られた熟年男性の左足の付け根に、長さおよそ13センチメートルの朝鮮系磨製石鏃がうしろから貫通し、太ももの骨のいちばん上付近に突きささって折れている。(「人はなぜ戦うのか」松木武彦より)
大腿部に突きささった磨製石鏃(福岡県志摩町新町遺跡)背後から矢を射られ、左の尻の下あたりに命中したものだ。これが致命傷になったかどうかはわからないが、刺さった石鏃のまわりの骨に治癒反応が認められないので、この傷を受けるのとほぼ同時に命をなくしたらしい。
さらに興味深いのは、この棺の下に小穴があって、その中から別の人物の歯が見つかったことだ。この穴には、別人の頭部がおさめれていたと考えられ、歯の分析によると、少年または青年のものだという。
墓の主は、奮戦してこの若者の「首級」をとったものの、その戦いの傷がもとで死んだのだろうか。それとも、墓の主の戦死に対するかたき討ちとして、同じ集落の者が敵の「首級」をとってそなえたものだろうか。
当時の戦争は、こんな感じだったのだろうか?

(まるごとひらおねっとからお借りしました。)
投稿者 kumana : 2007年06月13日 23:29
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