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   <title>縄文と古代文明を探求しよう！</title>
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   <updated>2012-05-14T03:16:44Z</updated>
   
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   <title>シリーズ「潜在思念の原点・カタカムナ」～日本人の可能性１</title>
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   <published>2012-05-14T03:00:00Z</published>
   <updated>2012-05-14T03:16:44Z</updated>
   
   <summary> 写真はこちらからお借りしました。 前回は、古代人の思考＝万物の間に類似性や共通性を見出す「類化思考」と、現代人の思考＝物事の違いに着目する「別化思考」の違いを見てきました。 その中で現代人の「別化思考」の起源は、私権意識を正当化するための陰陽道を契機として変化していった支配者層の思考にあったことを見てきました。 現在、私権意識、近代観念が社会全体に拡がり人々が別化思考を続けてきた結果、人類は滅亡の危機に直面するところまで来てしまいました。 そこで今回は、人類滅亡に対する突破口の可能性として、私権時代以前の思考方法＝古代人の類化思考に着目して見ていきたいと思います。 先ずは応援お願いします。 ...</summary>
   <author>
      <name>sinkawa</name>
      
   </author>
         <category term="　日本人はいつモノを考え始めるのか" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[<img alt="%E5%B1%8B%E4%B9%85%E5%B3%B6~1.JPG" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E5%B1%8B%E4%B9%85%E5%B3%B6~1.JPG" width="400" height="300" />
<br>写真は<a href="http://okinawan-lyrics.blogspot.jp/2008/10/blog-post_2821.html">こちら</a>からお借りしました。

<br>前回は、古代人の思考＝万物の間に類似性や共通性を見出す「類化思考」と、現代人の思考＝物事の違いに着目する「別化思考」の違いを見てきました。
その中で現代人の「別化思考」の起源は、私権意識を正当化するための陰陽道を契機として変化していった支配者層の思考にあったことを見てきました。

現在、私権意識、近代観念が社会全体に拡がり人々が別化思考を続けてきた結果、人類は滅亡の危機に直面するところまで来てしまいました。
そこで今回は、人類滅亡に対する突破口の可能性として、私権時代以前の思考方法＝古代人の類化思考に着目して見ていきたいと思います。

先ずは応援お願いします。
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      <![CDATA[私たち現代人は、自分にとって都合の良いことを考え、都合の悪いことは捨象する思考方法を無意識の内に取っています。

例えば、自分の自由は何より大切にし同時に他人の自由も認めるかのように思考していますが、実際に他人の自由を認めれば自分の自由は阻害されること、つまり万人の自由はあり得ないということは捨象しています。
また、環境問題を重要視しながら、より環境を破壊する経済活動や快適な生活は手放したくないと考えています。

つまり、現実全てを対象化するのではなく、都合のよい一部だけを対象化してしまう思考方法を取っているのです。
その結果、現代社会は環境破壊、精神破壊、経済破綻など、人類滅亡の危機に直面するところまで来てしまいました。

一方、カタカムナ人に見られるように、古代人の徹底した類化思考（同化思考）とは、自分にとって都合の良いもの、悪いものという区別無く、<span style="color:#ff3300;">現実全てを対象化し、自然や環境、同類に対して徹底的に同化していく思考であり、事実の追及そのものだと言えます。</span>
　　
　　
<img alt="%E2%91%A0%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%8A.png" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E2%91%A0%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%8A.png" width="225" height="208" />
写真は<a href="http://blog.goo.ne.jp/ricky-fujikawa/e/ff37094221520f72258b05d1ccf2837c">こちら</a>からお借りしました。　　
　　
　
カタカムナ人が到達した（現代科学を超えるほどの）自然法則まで見通す思考は、徹底した現実対象化の結果です。
都合の悪い事象は捨象し、細分化し限定した前提・仮定条件下で研究を行う現代の科学者とは、同化のレベルが全く違うと思われます。

<span style="color:#ff3300;">現代人の思考方法は正に別化思考であり、それは近代観念そのものが別化思考だからです。</span>
例えば自由、平等などの近代観念は、現実社会においては決して実現できませんが、私権意識を抱える以上、頭の中の自己正当化には不可欠なものとなっています。

日本において支配者層の思考は、陰陽道を契機として私権意識を正当化する別化思考となり、私権意識の深化と共に大衆にも広がり現代まで続いています。
一方、日本に色濃く残る共同体性には、類化思考の名残を多々見つけることができます。
いくつか具体的な事例を見てみましょう。

　　

<blockquote>●自然災害によって醸成された日本人の意識
『緊急企画　「東日本大震災は日本人に何を覚醒させるのか！」第７回　地震・災害は<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/05/001254.html">日本人の性格をどのようにかたちづくってきたか？』</a>

<br><img alt="%E2%91%A1%E8%87%AA%E7%84%B6%E7%81%BD%E5%AE%B3%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%89.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E2%91%A1%E8%87%AA%E7%84%B6%E7%81%BD%E5%AE%B3%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%89.jpg" width="336" height="223" />
<br>写真は<a href="http://www.japansociety.org.uk/earthquake-2/?lang=ja">こちら</a>からお借りしました。

<br>このような世界各国に驚かれる日本人の性格は、日本人の自然観に由来しているのではないか？という観点でまとめているブログがありましたので紹介します。
以下、『ぼやきくっくり　独特の災害史観を持つ日本人は何度も立ち向かい乗り越えてきた』より転載します。リンク　
　
（以下引用）
（中略）
そして、このような「脆弱な国土」と繰り返し起こる災害によってはぐくまれたのが、「自然災害史観」「震災史観」ともいうべき、日本人の独特の精神性であるというのです。
歴史をひもとけばわかりますが、日本の先人の多くは紛争ではなく災害で亡くなっています。中国やヨーロッパでは災害よりも圧倒的に紛争で亡くなった人が多いのだそうです。
紛争、つまり「人為」で命を落とした場合は、相手を恨んだり、なぜ負けたのかを考えます。次に備えて論理で考える思考が得意になり、それは都市設計にも影響してきます。
例えば中国の長安は高い城壁で町を囲んでいましたが、平城京は城壁を採用しなかった。その違いは、「外から敵が攻めてくる地かどうか」でした。
日本の場合は外壁がなくても誰も攻めてきませんでしたが、災害などの「天為」に見舞われてきました。
多数の死者が出ても、原因が災害では恨む相手がいません。
現代ならともかく、科学技術も発展していなかった時代ですから、災害への予測も備えもままならなかった。抗議する相手もいなければ、防ぐ方法もなかった。……
と、述べた上で、大石氏は論文をこうまとめています。

……このように、日 本人は中国や欧米のように理屈で説明できる「人為」でなく、「天為」で命を落としてきた民なのです。そして「天為」で命を落とした死者への思いは、「安ら かに成仏してください」というものにしかなりえない。人が大勢亡くなった時、あるいは愛する者の死に接したとき、人間は最も深くものを考えるものだと思う のですが、圧倒的な自然の力による災害で多くの人が亡くなる経験をしてきた日本人は、「ただひたすらにその死を受け入れる」民になったのです。
人間同士のいさかいではなく、自然のみが驚異であった日本人の精神性が、他国と違っていても全く不思議ではありません。</blockquote>
　　
　　
日本人にとって自然とは、善悪の価値観で捉える対象ではなく、受け入れざるを得ないもの、決して自分たちの都合でどうこうできるものではない対象でした。
自然は畏敬の念で全面的に同化する対象であり、日本人が類化思考を色濃く残してきた一因だと思われます。

　　
　　
<blockquote><a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2011/10/001039.html">●『日本の婚姻史に学ぶ、共同体のカタチ』「夜這い婚って何？」</a>
<br><img alt="%E2%91%A4%E5%A4%9C%E9%80%99%E3%81%84%E3%81%AE%E7%94%BB.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E2%91%A4%E5%A4%9C%E9%80%99%E3%81%84%E3%81%AE%E7%94%BB.jpg" width="360" height="260" />
<br>写真は<a href="http://matsutama.naganoblog.jp/e642554.html">こちら</a>からお借りしました。　　
　　　

（以下「夜這いの民俗学」赤松啓介著より引用）
梅雨どき、長雨にうんざりすると若衆たちは、気がねのいらぬ仲間の家の内庭や納屋へ集まって縄ないなどの手作業をした。君に忠、親に孝などというバカはいないから、娘、嫁、嬶、後家どもの味が良いの、悪いのという品評会になる。
「おい、お前、俺んとこのお袋の味、どないぞ。」
「わい、知らんぞ。」
「アホぬかせ、お前の帰りよんの見たぞ。」
「ウソつけ。」
「月末頃にまた留守にするで来てな、いうとったやろ。どアホ。親父に行くな、いうたろか。」という騒ぎになった。
「お前、今晩、うちのネエチャに来たれ。」
「怒られへんのか。」
「怒ってるわい、この頃、顔見せんいうとったぞ、味、悪いのか。」
「そんなことないけんど、口舌が多いでなあ。」
「そら、お前が悪い。いわせんように、かわいがったれ。」
（以上引用）

　一見、あけすけで品のない会話のようですが、貞操観念などという余計な観念を取り払って読めば、周りの女性達が充足できるように、皆で情報を交換し、性的な期待を掛け合っている姿は、非常に思いやりに溢れた光景であるといえます。
　これらの会話から、もともと日本では、性に対して開放的であり、戦後のように秘め事ではなかったことがわかります。
　最大の共認充足である性の充足は村の活力そのものですから、ムラ全体で性の充足を肯定的に共認し、共同体の規範として、皆が充足できるように期待を掛け合うのは当然といえます。
（中略）

　性の相手がみんなの期待によって決まり、性の充足がみんなの共認充足となっていた日本の性文化からみれば、現代の男発の独占欲から得られる性の充足とは、180度違う事が解ります。

　最初の問い「貴女のセックスの相手は誰ですか？」に対する本来の日本文化を受け継いだ女性たちの答はもうお判りでしょうか？ 

　女たちの充足を第一とした「夜這婚の基本は（性的年齢に達した者）みんなと充足」だったんです。
　日本の農村では、女たちが充足し、安心していることが共同体の維持・統制に必要不可欠であり、村の活力＝皆の共認充足＝性充足であることを皆で共認していました。
　したがって性充足を 村の重要な統合課題として、「性も公明正大」に男たちで課題共認し、皆が充足 できるような婚姻制度を作り上げたのが、夜這婚だったのです。</blockquote>
　　
　　

日本の農村では戦前まで（地域によっては戦後まで）「夜這い」が残っていましたが、好き嫌いや自分だけの充足を考えていては「夜這い」は絶対に成立しません。
村落共同体の人々にとっては、<span style="color:#6666ff;">みんなの充足が自分の充足でもあり、自分の都合だけで思考し行動することは考えられない事</span>だったのだと思います。
これも、日本人が類化思考を持ち続けてきた事例と言えます。


古代人の思考方法が類化思考（同化思考）であったのは日本だけではなく、私権闘争が始まるまでは、<span style="color:#6666ff;">類化思考こそが人類共通の思考方法</span>でした。
しかし現代社会においては、私権意識や個人主義を思考の原点としているのが当たり前であり、別化思考こそが人類の思考方法であるかのように世界中がなっていますが、その中で<span style="color:#6666ff;">日本人だけは類化思考を色濃く残している</span>ようです。

次回は本シリーズ最終回として、なぜ日本人が類化思考を色濃く残してこれたのか、そして世界中が直面している社会閉塞を突破する可能性は日本人にこそあるのではないか、を追求していきたいと思います。
ご期待ください。

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   <title>「次代の可能性をイスラムに学ぶ」１～イスラムの女性は充足しているの？！～　</title>
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   <published>2012-05-13T12:34:12Z</published>
   <updated>2012-05-15T12:30:21Z</updated>
   
   <summary> :m040: シリーズの第一回は、社会の最基底である“性”を見ることで、イスラムの実態に迫ってみたいと思います :tikara:  ずばり、サブタイトルは、“イスラムの女性って充足してるの？”です :D  イスラムの女性は、その全身を隠す服装などから、厳格な規律に縛られた＝抑圧されたかわいそうな女性というレッテルを貼られることが多いように思いますが、果たして本当にそうなのでしょうか？ 画像はこちらより        いつも、応援ありがとうございます :m023: ...</summary>
   <author>
      <name>mituko</name>
      
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         <category term="Ⅵメソポタミア文明" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[ :m040: シリーズの第一回は、社会の最基底である“性”を見ることで、イスラムの実態に迫ってみたいと思います :tikara: 
ずばり、サブタイトルは、<span style="color:#ff3300;"><strong>“イスラムの女性って充足してるの？”</strong></span>です :D 

イスラムの女性は、その全身を隠す服装などから、厳格な規律に縛られた＝抑圧されたかわいそうな女性というレッテルを貼られることが多いように思いますが、果たして本当にそうなのでしょうか？

<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/images.jpg"><img alt="images.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/images-thumb.jpg" width="246" height="205" /></a>
<span style="font-size:70%;"><span style="color:#CC6600;">画像は<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59579103.html">こちら</a>より</span></span>


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いつも、応援ありがとうございます :m023: ]]>
      <![CDATA[<span style="color:#000080;"><strong><span style="font-size:130%;">１．イスラム教は女性救済だった？！</span></strong></span>
実はイスラム教の成立過程を見ると、西欧からのこの女性を抑圧しているというレッテルはまったくの誤りであることが分かります。

実はイスラム教が成立する以前のアラブの女性は、集団内で卑下され、自分の意見も持つことを許されず、遺産相続権利もないという状況でした。夫は妻の許可なしに妻の財産を使用する権利があり、また時に女性は売春を強制され、その収入はその女性の後見人が得ていました。結婚に関しても、後見人の一存で女性本人に相談することなく結婚が取り決められ、結納金は後見人が受け取り、女性には反論する権利はありませんでした。 :m111: 

<span style="color:#ff3300;">このような後見人の横暴振りや、度重なる戦で夫を無くし寄るすべを失った女性を救済すべく、ムハンマドは複数の妻を娶ることを認める規範を作ったと言われています。</span>また、イスラームは女性が仕事を持つことを女性の権利の一つとしました。実際、女たちから目標とされているムハンマドの妻たちは、自ら商売をしたり、繕い物をしたりして自らの生計を立てるというたくましい生き方をしています。

<u>アラブはムハンマド登場前に母系から父系に転換していますが、その際の極端な父権への傾倒を調整し、規範で再統合して女性を救済したのがイスラム教だったとも言えるかもしれません。</u>

その証拠に、イスラム教には、女性に関する規範が数多くあります。ではその規範の中身を見てみましょう。

<span style="color:#000080;"><strong><span style="font-size:130%;">２．イスラムの性規範と充足</span></strong></span>

<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%EF%BD%BA%EF%BD%B0%EF%BE%97%EF%BE%9D.bmp"><img alt="%EF%BD%BA%EF%BD%B0%EF%BE%97%EF%BE%9D.bmp" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%EF%BD%BA%EF%BD%B0%EF%BE%97%EF%BE%9D-thumb.bmp" width="200" height="160" /></a>

女性に関する規範＜結婚・離婚＞
<blockquote> :m057: 身内以外の男女の接触を制限するイスラームにおいては未婚男女の自由交際はあり得ない。従って結婚はほとんどの場合が見合いで始まる。
 :m058: ムスリム男性はユダヤ教徒、あるいはキリスト教徒の妻を娶ることが出来るのに、女性はムスリム男性としか結婚できない。
 :m059: 一夫多妻（4人まで妻を娶ることができる）
 :m060: イスラームでは、夫が三度｢タラーク(離婚だ)｣と妻に対して言えば離婚は成立する。
 :m057: 「男は仕事に、女は家庭に」、これがイスラームにおける原則的な男女の役割分担。</blockquote>

以上のような「自由恋愛の禁止」「家父長権の強さ」をもって、西欧諸国(男女平等主義者)はイスラム社会は女性に対して抑圧的であると非難するのですが、「自由であることが充足と結びつかない」ことは、およそ皆さんお分かりかと思います。

さらにイスラムにおける性に対しての意識を見てみましょう。まったく抑圧的ではないことが見えてきます :shock: 

<blockquote><a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=241130">「性」に肯定的なイスラム教</a>

イスラームには性を否定的に捉える傾向はまったくなく、むしろ、結婚は信仰生活の重要な一部であり、禁欲的独身主義の方がかえって悪とみなされている。この他にも、イスラム教の聖典には、性に関する教えや表現が多数登場し、「性」のとらえ方は極めて肯定的であることが解る。

<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=214307">イスラムの女性に対する認識</a>
男女は人間 としてまったく平等であり、同等の権利をもつ。しかしこれは男女それぞれの特性を 生かした平等と権利であり、なにがなんでも同じに扱うことではない。女性が母として子を産み育てる役割は人類存続のための大前提であり、そこに女性の真の美しさがある。</blockquote>

このように<span style="color:#ff3300;">イスラムにおいて性は肯定視されており、禁欲主義をとるキリスト教とは極めて対比的です</span>。よって、その性充足への追求度はかなり高く、例えば次のようなことまで伝承などには書かれているのです。

<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/390px-Twolovers.jpg"><img alt="390px-Twolovers.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/390px-Twolovers-thumb.jpg" width="150" height="225" /></a>
<span style="color:#CC6600;"><span style="font-size:70%;">『宮廷の恋人たち』（エスファハーン、イラン、1630年）画像は<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E7%BE%8E%E8%A1%93">こちら</a>より</span></span>

<blockquote> :m020: ｢男が自分の妻に近づくとき、彼は二人の天使に守られ、彼はアッラーのための戦士のようである。彼が妻と関係を持つとき、彼の罪は落ち葉のように落ち、全身清浄をすれば罪は洗い流される。｣(ワサーイルッシーアに集められた伝承)。

 :m020: 妻にとって夫の性的欲望を満たすことは重要な義務の一つである。｢もしある女が夫との同衾を拒み、夫が一晩怒りを抱いて過ごせば、天使が朝まで彼女をののしる。｣(アルブハーリー、ムスリムの伝える伝承)

 :m020: ｢男が自分の欲望を満たすために妻を呼んだときには、たとえカマドに火をくべていても彼の元に行かなくてはならない。｣(アッティルミズィーの伝える伝承)

 :m020: 夫には妻を喜ばせる義務がある。｢あなた方の誰でも、卑しい獣のように妻に飛び掛ってはいけません。まず交わりの前に先駆けを送りなさい。｣と預言者は言われ、先駆けとは何のことですか、と尋ねられると、｢接吻と優しい言葉です。｣と言われた、という伝承がある。

 :m020: 妻の許しなく射精直前に身体を離すことは禁じられるが、これは妻の喜びを奪うことになりうるからと考えられる。

<span style="color:#CC6600;"><span style="font-size:70%;"><a href="http://islamcenter.or.jp/jpn/Islam.and.women.4.htm">『イスラームと女性』</a>より</span></span></blockquote>

さて、このように性への肯定視が強いイスラム教ですが、現代の解放の流れの中ではどのようになっているでしょうか？変わらず規範は活きているでしょうか？

一口にイスラム社会と言っても国家によって信仰度合いに差がありますので、近年市場化が進み、規範がゆるんできていると思われるサウジアラビアと、厳格な規範が今も残っているイランの２国を、取り上げてみたいと思います。

<span style="color:#000080;"><strong><span style="font-size:130%;">３．現代の状況</span></strong></span>
 :m282: <strong>サウジアラビア</strong>
<span style="color:#ff3300;">進む市場化、女性の消費者化</span>
サウジアラビアは石油マネーの流入により、1人当たりGDPは14,353米ﾄﾞﾙ(2009年)(cf.日本は39,530（米ドル）)。今や人口2,700万人を擁し、中東諸国の中では最も富裕層が厚く、購買力が高い国となっている。人口増加率も高く、人口構成の50%が25歳以下で、政府の雇用創出政策(女性の就労を支援)により、近年ますます消費市場としての魅力が増しているそうです。中でも女性は家庭において絶大なる購買決定権を持っているといわれます。 

<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/1251438681.jpg"><img alt="1251438681.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/1251438681-thumb.jpg" width="200" height="136" /></a><span style="color:#CC6600;"><span style="font-size:70%;">画像は<a href="http://www.jwide.com/news/news.htm?id=226">こちら</a>より</span></span>

<span style="color:#ff3300;">
進むイスラム規範の崩壊</span>
このような市場化により、サウジアラビア社会は現在、今までの習慣やイスラームに反する新しい社会問題に直面しています。特に危険な問題としては、政教分離の波を受け、伝統的な家族制度が崩壊されているということがあります。近年の政府の統計によると、未婚女性の増加と離婚の増加が数字に如実に現われています。結婚適齢期の未婚女性は１／３にまで昇り、離婚は結婚した夫婦の３５％に昇っています。（ちなみに日本は約３０％だそう。日本よりも大きい数字というのは、かなりの崩壊度です。）

<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/s-wedding25-1.jpg"><img alt="s-wedding25-1.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/s-wedding25-1-thumb.jpg" width="200" height="140" /></a><span style="color:#CC6600;"><span style="font-size:70%;">
画像は<a href="http://www.geocities.jp/ysfutami/longstay.htm">こちら</a>より</span></span>

 :m282: <strong>イラン</strong>
<span style="color:#ff3300;">都市部は市場化</span>
一方、イランの1人当たりGDPは4,863米ﾄﾞﾙ(2009年)。およそサウジアラビアの１／３。イラン経済が制裁で痛手を受けていることは事実で、イラン通貨は今年その価値を５０％失い、物価は高騰している状態。そのあおりは中流階級が受けているようです。

<span style="color:#ff3300;">厳しい規範</span>
ホメイニ師のイスラム革命後、女性はヘジャブ（頭髪を覆うベール）の着用を義務つけられるなど、イスラムの教えの厳守が優先されてきています。欧米並みの女性解放を謳った王政がヒジャーブを身につけた女性のデモで予想もしなかったしっぺ返しをくらうなど、国民も教えを忠実に守る傾向が強いようです。大学までは男女別学、バスや電車も男女別。1000人当たりの年間婚姻率は12.2%、離婚率は1.7%、(cf.日本は婚姻率5.5%、離婚率2.2%)イスラム社会でも低い方である。

しかし、近年都市部では規範が緩んできている模様。（離婚をテーマにした映画などが作られています。）

<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/f75377271ed7c09962822ec82127bc0e_C420.jpg"><img alt="f75377271ed7c09962822ec82127bc0e_C420.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/f75377271ed7c09962822ec82127bc0e_C420-thumb.jpg" width="200" height="200" /></a>
<span style="color:#CC6600;"><span style="font-size:70%;">画像は<a href="http://www.garitto.com/product/17391343">こちら</a>より</span></span>

<span style="color:#000080;"><span style="font-size:130%;"><strong>４．まとめ</strong></span></span>
上記の両国の比較から言えることは、（これはイスラム諸国に限りませんが）市場化すればするほど、離婚率は上昇しています。それは規範(男女の性規範や家族制度)の崩壊を意味し、結果、共同体を失い個々人に解体された成員は共認非充足を募らせているとみてよいでしょう。

ですので、冒頭の「イスラム女性は充足してるの？」の問いに対しては、<span style="color:#ff3300;">「男女の性や家庭での母親としての役割充足は得ている。ただし近年の市場化(豊かさの実現)に伴い諸々の規範が緩んできており、その充足性も低下しつつある」</span>と答えられると思います :m101: 

しかしながら、このイスラムの歴史や規範から学ぶこともあるはずです。
それは、私たち現代人は得てして「規範」と言われれば「規制されるもの」というマイナス印象を持ちがちですが、この記事でも見てきた伝承のように、その本質は「より充足するには○○した方がいいね」というものです。<span style="color:#ff3300;"><strong>規範が厳しいから不幸なのではなく、規範があるからこそ充足できるのです。</strong></span>

最後に日本人でムスリマの女性の実感を紹介します。

<blockquote>性行為は生殖のためだけでなく、夫婦の間で楽しむべきものとしてアッラーから与えられているのである。私はこうしたイスラームの性愛観を知って、小説、雑誌、テレビなど巷に氾濫する性のイメージに対して覚えていた嫌悪感を一掃することができた。それまでは性を心のどこかで不浄視していたように思う。切り捨てることのできない人間の動物的側面として疎ましい気持ちがあったように思う。また、性行為に男と女の力関係を見るようなやり切れなさも感じていた。現在、それは一点の曇りもない清らかな性のイメージに取って代わった。<span style="color:#CC6600;"><span style="font-size:70%;"><a href="http://islamcenter.or.jp/jpn/Islam.and.women.4.htm">『イスラームと女性』</a>より</span></span></blockquote>

]]>
   </content>
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<entry>
   <title>「日本人の起源」を識る～エピローグ～最後の渡来Ｏ２ｂ，Ｏ３は何を与えたか？</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/05/001393.html" />
   <id>tag:blog.kodai-bunmei.net,2012:/blog//1.1393</id>
   
   <published>2012-05-10T12:05:43Z</published>
   <updated>2012-05-12T17:04:36Z</updated>
   
   <summary>シリーズ「日本人の起源を識る」も今回でいよいよ最終回となります。 これまで７回の記事を重ね、日本人の出自、列島内での動きから日本人の形成過程を見てきました。今回の記事ではその流れを総括的に押さえると共に、現代にいたる日本人の連続性を見ていきたいと思います。 まずは現在の日本人のＹ遺伝子の分布状況です。 東京、徳島、九州で分布を見てみます      　 Ｃ１：Ｃ３：Ｄ２：Ｏ２ｂ：Ｏ３ 東京　１　：　２：４０：　２６：１４ 徳島　１０：　３：３６：　３３：２１ 九州　４　：　８：２８：　３４：２４ 上記でわかるのは、東京、徳島ではＤ２が最大勢力で九州に行くとＯ２ｂが最大勢力であるという事です。またいずれの地域もＤ２、Ｏ２ｂ、Ｏ３で８割を占めています。 この３つの遺伝子が日本人の性質を形成している生物学上の遺伝子と言えるでしょう。 このシリーズではこれまでも提起してきたように縄文人を規定している遺伝子はＤ２であり、そのＤ２に言語と漁撈文化を与えたのがＣ１と想定しました。つまり、Ｏ２ｂ、Ｏ３はかなり後になって日本人に加わってきた一派なのです。 ここから先の議論をわかりやすくする為にＯ２ｂは中国江南地方の稲作をもたらした江南人、Ｏ３は１７００年前以降に日本にやってきた好戦的朝鮮系渡来民～いわゆる「騎馬民族系遊牧民の末裔」としておきます。当然、Ｏ２ｂに朝鮮系渡来民もいればＯ３に農耕民もいるとは思いますが、その渡来経路と与えてきた文化から固定化しておいたほうが歴史が見えやすくなると思います。  :m268: 笑顔、日本人で検索しました。 :m268:  　　　　 応援のクリックを1票お願いします。         ...</summary>
   <author>
      <name>tano</name>
      
   </author>
         <category term="Ⅱ縄文時代" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/">
      <![CDATA[シリーズ「日本人の起源を識る」も今回でいよいよ最終回となります。

これまで７回の記事を重ね、日本人の出自、列島内での動きから日本人の形成過程を見てきました。今回の記事ではその流れを総括的に押さえると共に、現代にいたる日本人の連続性を見ていきたいと思います。

まずは現在の日本人のＹ遺伝子の分布状況です。
東京、徳島、九州で分布を見てみます

     　 Ｃ１：Ｃ３：Ｄ２：Ｏ２ｂ：Ｏ３
東京　<span style="color:#6666ff;">１　：　２：４０：　２６：１４</span>
徳島　<span style="color:#6666ff;">１０：　３：３６：　３３：２１</span>
九州　<span style="color:#6666ff;">４　：　８：２８：　３４：２４</span>

上記でわかるのは、東京、徳島では<u>Ｄ２が最大勢力</u>で九州に行くと<u>Ｏ２ｂが最大勢力</u>であるという事です。<u>またいずれの地域もＤ２、Ｏ２ｂ、Ｏ３で８割</u>を占めています。
この<strong>３つの遺伝子が日本人の性質を形成している生物学上の遺伝子</strong>と言えるでしょう。
このシリーズではこれまでも提起してきたように縄文人を規定している遺伝子はＤ２であり、そのＤ２に言語と漁撈文化を与えたのがＣ１と想定しました。<span style="color:#ff3300;">つまり、Ｏ２ｂ、Ｏ３はかなり後になって日本人に加わってきた一派なのです。</span>

ここから先の議論をわかりやすくする為にＯ２ｂは中国江南地方の稲作をもたらした江南人、Ｏ３は１７００年前以降に日本にやってきた好戦的朝鮮系渡来民～いわゆる「騎馬民族系遊牧民の末裔」としておきます。当然、Ｏ２ｂに朝鮮系渡来民もいればＯ３に農耕民もいるとは思いますが、その渡来経路と与えてきた文化から固定化しておいたほうが歴史が見えやすくなると思います。

 :m268: 笑顔、日本人で検索しました。 :m268: 
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      <![CDATA[また、この日本国内で４つも５つも共存する遺伝子群は他の地域、国に行くと様相が異なります。或いは日本では３つの主要な遺伝子系統が分散しているのに対して他の地域では多くて２つ、極端には１つの遺伝子に統合されています。
事例を紹介します。

以下は華北、台湾、朝鮮です。

　　　　Ｃ３：Ｏ１：Ｏ２ｂ：Ｏ３
華北　　<span style="color:#6666ff;">５　：　０：　２　：６６</span>
台湾　　<span style="color:#6666ff;">１　：６９：　０　：　７</span>
朝鮮　　<span style="color:#6666ff;">１１　：　３：３６　：３８</span>

華北や台湾はほとんど１つの系統、朝鮮でも主流は２つです。<u>このように日本のような多様な分布を見せないのが世界の標準なのです。</u>
なぜこのように遺伝子が整理されていくか？これはおそらく日本以外の地域と日本とで古代の戦争の度合いが異なるからだと思われます。中国も朝鮮も古代に激しい戦争を経験し、その生き残りが国家を形成してきました。逆に負け組みは奴隷として支配されるか、周辺地域に離散、それぞれの地で定着していきました。日本はその負け組みが到達した一地域だったのです。

 :m281: これらの特徴を現すと日本の民族は以下のようになります。
<blockquote><span style="color:#ff3300;"><strong>・多様な遺伝子系統が並存する事のできた珍しい国である。
・多様な遺伝子系統が存在するにも関らず、国民の大きな差が発生していない。
・後着の遺伝子系統が先住遺伝子系統を駆逐していない。</strong></span></blockquote>

これは日本が歴史的にほとんど戦争らしき争いを国民規模で行なっていないという事を言っているに過ぎないのですが、改めて日本人の起源、経路からその事実を押さえてみたいと思います。

 :m284:  :m284:  :m284:  :m284:  :m284:  :m284:  :m284:  :m284:  :m284:  :m284:  :m284:  :m284:  :m284:  :m284: 
人類はアフリカで誕生しますが、約10万年前に脱アフリカし、中東、インドを経て現在の東南アジアが陸化したスンダランドに多数集合します。約5万年前の頃です。
スンダランド定着が進む一方で、インドガンジス川上流域に留まった一派がさらなる温暖化で北上する森林地帯に併せてチベット地域、中国長江流域を経て東へ広がって行きます。
彼らは総じて森の中で狩猟採集する特徴を有していました。彼らが後の日本人の源流になったＤ２の民ではないかとこのブログでは論じました。森の民で土器を擁したＤ２は１万６千年前の寒冷期に南下して日本列島（九州北部）に到達し、海流で大陸と列島が切り離されるとその後の縄文人の基層として定着拡大していきます。

また、同時期に武器を携えて大型動物を追って北上したのがＣ３の民であり、彼らはユーラシア大陸の草原地帯に広く分布、そのうちの一派は２万年前前後にアメリカ大陸に渡っています。日本にもまだ大陸と繋がっている時代に北海道上部から入り込み、縄文時代より前の旧石器時代に拡がって行きます。
一方、スンダランドに定着した一派は火山噴火、海面上昇により周辺地域に離散、その一派はＣ１系統として１万２千年前に日本列島に漂着、定住します。

<strong>日本列島ではこの１万２千年前前後にＣ３、Ｄ２、Ｃ１の３つの系統の民族が居住地を分かれて定着していたと思われます。</strong>その後最後の特殊寒冷期ヤンガードリアスが約１３００年間続きますが、この時期に狩猟の民Ｃ３はほぼ絶滅、Ｄ２は南下して九州南端でＣ１と融合、南方的性質を有していたＣ１がＤ２に言語的影響を与え、その後の日本人の言語基層になっていきます。
縄文時代はヤンガードリアスを挟んで１万年前から温暖化していきますが、４千年間の温暖期に本州最北まで移動、定着し、南方的特性を引き継いだＤ２系統が南から北まで広く分布、そしてその一派は火山噴火などを契機に海を越えて北海道に渡り、現在のアイヌ民族の源流に繋がっていきます。同様に７千年前の歴史的噴火である鬼界カルデラの火山噴火により九州南端居住のＤ２が沖縄まで移住、同様に縄文人の末裔となっていきます。

縄文時代は温暖化が進んだ１万年前以降においても１０００年単位で寒暖を繰り返し、その度に食糧源となる樹林地域が上下動、それに併せて民族も移動、縄文時代終盤には列島内の言語と民族がほぼ同化、統一していきました。<span style="color:#ff3300;">その意味では海に囲まれて逃げ場のない中で激しい気候変動と縦長の地形が多民族の集合体である日本人を単一民族にした背景にあったとも言えます。</span>

 :m284:  :m284: さて、Ｏ２ｂ、Ｏ３の話に入ります。

後発で日本人の仲間となった０２ｂ、Ｏ３はこのような状況のなか、日本列島に入り込んできたのです。Ｏ２ｂ、Ｏ３はすでに大陸で一定の成熟した文化を形成してきており、当然戦争やその結果としての私権社会の波にももまれています。
渡来した彼らが日本列島に新技術（稲作や製鉄）をもたらし、私権社会の仕組み（支配、制度、文字）をもたらしたのは事実ですが、<span style="color:#ff3300;">彼らもまた基層であるＤ２民の縄文人に吸収され、同化していったのではないかと思われます。</span>

個別に見れば、約４千年前から徐々に少数で渡来し、縄文人に融和していった江南人（Ｏ２ｂ）は弥生人として日本人化し、１７００年前に集団ごと渡来したＯ３は長くその独自の渡来文化を日本の中で天皇を中心とする貴族社会として存続させていきます。しかし、<span style="color:#ff3300;">それとて、渡来して400年もすれば、日本人の共認域に同化し、渡来文化を日本流に変化させ広げていきます。</span>
それが<u>漢字文化のカナ化</u>であり、<u>仏教の大衆化</u>であり、<u>建築や絵画、文学</u>などへ反映されていきました。<span style="color:#ff3300;">そして何よりも彼らが日本風に変わっていったのが、同類の戦いを避けるシステムを国家運営で設けた事です。</span>その結果、Ｏ３の渡来民は自らの勢力を国内で拡大する事を望まず、ひたすら京都や奈良の地域で定着していきました。
Ｏ３が中国ではほぼ全域に拡大し他の系統が排除されたのに対し、<span style="color:#ff3300;">日本だけは０３が２割も居ながら、その拡大には至っていません。文化は拡げたけど、民族間闘争はしなかった。</span>結果、Ｏ３やＯ２ｂが日本で与え、拡げたのは単に大陸の技術や文化に留まったのです。

<span style="color:#ff3300;"><strong>そう考えると、日本という地に訪れたいずれも民もこの地に馴染み、同化し、日本人になっていったと言えるのかもしれません。日本人の起源を困難にしている要因の一つに多民族が流入し、日本の風土に同化した～それほどこの極東の島には引力があったという事を上げてもよいように思います。</strong></span>
<img alt="sp32.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/sp32.jpg" width="189" height="317" />

<span style="color:#CC6600;">日本人の起源インデックスです</span>。
<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/09/001323.html">「日本人の起源」を識る～プロローグ</a>
<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/12/001330.html#more">「日本人の起源」を識る～１．日本海の形成によって始まる縄文文化</a>
<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/10/001331.html#more">「日本人の起源」を識る～２．前縄文時代の解明（狩猟・移動の民Ｃ３）</a>
<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/10/001332.html">「日本人の起源」を識る～３．縄文人を作った採集の民 Ｄ２</a>
<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/03/001383.html">「日本人の起源」を識る～５．日本に南方の風を吹き込んだ海洋の民「Ｃ１」</a>
<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/05/001389.html">「日本人の起源」を識る～６．アイヌ民族の謎（縄文人Ｄ２の末裔か、狩猟系Ｃ３の末裔か？）</a>

長らくのおつきあいありがとうございました。
次回シリーズはこの多様な島～日本を統合した本質は何か？それはひょっとすると言語ではないか？という仮説を建てて検証していきたいと思います。お楽しみに。]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>「次代の可能性をイスラムに学ぶ」～プロローグ</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/05/001392.html" />
   <id>tag:blog.kodai-bunmei.net,2012:/blog//1.1392</id>
   
   <published>2012-05-05T12:01:18Z</published>
   <updated>2012-05-08T13:42:40Z</updated>
   
   <summary>こんばんは。暫く間が空きましたが、新シリーズの紹介です。 今回はイスラムを扱いたいと思います。まず、なぜイスラムを扱うか、そこの問題意識についてこのプロローグで考えてみたいと思います。 リーマンショック以降、アメリカ中心の金融経済が迷走し、昨年からはヨーロッパ経済がガタガタになりはじめました。これら西側諸国の自由主義経済、強いてはそれを支えてきたキリスト教経済圏が破綻し始めている事を示しています。さらに歴史的には武力、経済力などいわゆる力の原理で社会秩序や国家統合を図ってきたのがこれまでの世界の制覇国の原理でした。多分にもれず、遅れてきた東側社会である日本や中国、東南アジアもその仲間入りをして追随していきました。 当然バブル崩壊や世界経済の混迷、破綻に巻き込まれ、私権社会西側も東側の国々も今後混迷を深めていきます。しかし、ここに来て、それらの経済圏や価値観と全く異なる地域、国家群が世界の中にそれも相当の数存在する事が注目されています。 それがイスラム圏です。 こちらよりお借りしました。 ↓応援お願いします↓        ...</summary>
   <author>
      <name>tano</name>
      
   </author>
         <category term="Ⅵメソポタミア文明" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/">
      <![CDATA[こんばんは。暫く間が空きましたが、新シリーズの紹介です。

今回はイスラムを扱いたいと思います。まず、なぜイスラムを扱うか、そこの問題意識についてこのプロローグで考えてみたいと思います。

<span style="color:#696969;">リーマンショック以降、アメリカ中心の金融経済が迷走し、昨年からはヨーロッパ経済がガタガタになりはじめました。これら西側諸国の自由主義経済、強いてはそれを支えてきたキリスト教経済圏が破綻し始めている事を示しています。さらに歴史的には武力、経済力などいわゆる力の原理で社会秩序や国家統合を図ってきたのがこれまでの世界の制覇国の原理でした。多分にもれず、遅れてきた東側社会である日本や中国、東南アジアもその仲間入りをして追随していきました。</span>

当然バブル崩壊や世界経済の混迷、破綻に巻き込まれ、私権社会西側も東側の国々も今後混迷を深めていきます。しかし、ここに来て、<span style="color:#ff3300;">それらの経済圏や価値観と全く異なる地域、国家群が世界の中にそれも相当の数存在する事が注目されています。</span>

それが<span style="color:#ff3300;">イスラム圏</span>です。
<img alt="%E7%A5%88%E3%82%8A%EF%BC%92.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E7%A5%88%E3%82%8A%EF%BC%92.jpg" width="259" height="194" /><a href="http://nappi10.wordpress.com/2010/07/20/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%80%80%E9%96%93%E9%81%95%E3%81%A3%E3%81%9F%EF%BC%81/">こちら</a>よりお借りしました。

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]]>
      <![CDATA[イスラム教は20世紀以降においても、着実に信仰人口を増大させています。なぜ、イスラムが現在元気がよいのか？同時期に発掘された石油という魔法の資源がその吸引力となった事と時を一致させますが、一方でイスラム教が貧困層に慕われ、規範や規律が明確な生活や集団維持の為の宗教であるという事も無関係ではないでしょう<span style="color:#6666ff;">。21世紀に人類が迎えるであろう私権社会の終焉と次の共認社会の始まり。この20世紀後半に伸びてきたイスラムにはきっと次代に繋がる何かがあるのではないだろうか？</span>それがこのシリーズを立ち上げた最初の問題意識です。
<img alt="%E5%AE%97%E6%95%99%E5%89%B2%E5%90%88.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E5%AE%97%E6%95%99%E5%89%B2%E5%90%88.jpg" width="248" height="203" /><a href="http://www.bekkoame.ne.jp/i/funyara9/syukyo/s_jinkou01.htm">こちら</a>よりお借りしました。

まず最初に明らかにしたいのが、<span style="color:#ff3300;"><strong>世界で２０％を占めるイスラムという共認域です</strong></span>。どんな共認域で彼らがまとまっているのか？集約すればコーランがその中心であると言えますが、どのように誕生し拡大してきたのか？私権社会が閉塞しその終焉を迎えようとしている現在も尚、その人口、地域は拡大を続けています。―イスラム教はなぜ誕生したのか、そしてその教え人々に何をもたらしてきたのか？現在でも人々を巻き込んでいるこの宗教の本質とは何か？そこに迫っていきたいと思います。
<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%88%86%E5%B8%83.html" onclick="window.open('http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%88%86%E5%B8%83.html','popup','width=1131,height=603,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img alt="%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%88%86%E5%B8%83.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%88%86%E5%B8%83.jpg" width="330" height="180" />
</a><a href="http://21432839.at.webry.info/201203/article_14.html">こちら</a>よりお借りしました。

また、イスラム金融システムでも紹介されているように<span style="color:#ff3300;">イスラム圏ではお金がお金を生む金融という市場を禁じています。</span>この事がもっともイスラムを象徴していると思うのですが、イスラムはつまりキリスト教文化圏の反対側の世界としてその登場から発展まで継続しているのです。後の投稿で紹介していきますが、イスラム教はキリスト教と同一の神、ヤハウェを信仰しています。しかし、神の意思の解釈が異なると言う事でその後のキリスト教と大きな差異が生じていきます。<span style="color:#ff3300;">この差異が禁欲であり、規範であり、集団性なわけです。</span>

当ブログのメンバーでイスラムとキリスト教を分けた最大のポイントは何か？を議論したのですが、それはどちらも同じ共認不全（人と人とが信頼できない状態）からスタートしています。しかし、<span style="color:#ff3300;">キリスト教は個人を対象化、イスラム教は集団を対象化</span>しています。
イスラム教が集団規範に載っており、個人の自我を戒める事に徹底しているのはその違いによると思われます。なぜこのような違いが発生したのか？これは宗教誕生の頃のこの地域の気候、そこに残っていた集団の有り様などから探っていく事になります。つまり、非常に厳しい乾燥化と当時イスラム圏で起こった戦争という外圧に対して集団化することで対応した最初の集団がイスラムの原点になっているのではないでしょうか。

このように誕生したイスラムですが、その後しばらくは中東世界で広がり、やがてインドを皮切りに世界宗教へ拡大していきます。イスラムの変遷と言われている部分ですが、<span style="color:#ff3300;">イスラム成立時から徐々に変化していったイスラム圏の拡大の原動力を見ていく事が次のテーマです。</span>キリスト教のように布教活動をそれほど明確にはしていません。<span style="color:#ff3300;"><strong>彼らの拡大の真の目的とは何か？</strong></span>この時代の拡大に近代のイスラム社会の拡大に繋がるヒントが隠されています。

そして近代のイスラムです。冒頭で書いたように金貸し勢力が入り込まなかったイスラムというのは非常に興味が膨らみます。なぜ金貸しが手を出せなかったのか？どのような攻防があったのか、これは現在の金貸し支配に対抗する一つの可能性として扱っていきます。また、注目すべきは<span style="color:#ff3300;">イスラム社会は民主主義を明確に否定していると言う事です。</span>先の中国でも扱いましたが、民主主義を取らない勢力は世界で半数以上存在します。
アメリカが民主化路線で正当化しイスラムを攻撃しますが、イスラムの社会には自由競争、民主主義の嘘、違和感を既に見抜いており、独自の価値観で社会を構成しています。リビアのカダフィに代表される、民族全体の存続を考えた統治主義というべき本質的な社会統合を目指しています。～参考「<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=258078">カダフィ政権崩壊後、リビアで二度と見られなくなる16項目の善政</a>」

<span style="color:#ff3300;"><strong>最後にイスラムと日本の摺りあわせを行ないます</strong>。</span>これほど集団性を兼ね備えたイスラムですが、日本との接点は意外と歴史的に多くありません。そして私たちが彼らをイメージする際にあまりに情報が少なすぎ、肯定的に理解するのに乏しい状況です。西側世界の価値観で歪められ、<span style="color:#6666ff;">イスラム＝辺境、悪、異端として刷り込まれてきた私たちの史観を一旦疑う必要があります。</span>

<strong>だから、イスラムを知りたい！</strong>

私たちがイスラムに学ぼうとした起点も実はここにあります。
歴史的には同じように共同体を維持してきたイスラムと日本、何が違い、何が同じなのか？また、イスラムに私たち日本人は何を学ぶべきか？イスラムを通じ、次代の社会に必要な答えが導き出せればと期待しています。

このシリーズの記事を最初に設定しておきます。
※追求途上でタイトルが変更する事はご容赦下さい。

<span style="color:#6666ff;">１．現代のイスラム社会の構造～イスラム女性は充足しているか？
２．現在のイスラム社会の構造～経済と政治はどうなっている？
３．イスラム世界の源流とは～イスラム教前夜の状況
４．イスラム教の本質って何？
５．イスラムにとって武力とは何か？
６．市場拡大とイスラム圏の拡大を重ねてみる
７．オスマン帝国の拡大、統治は何だったのか
８．時代を経ても変わらないイスラム思想
９．イスラムに見る反西洋、反民主主義
１０．拡大するイスラムの限界とは
１１．イスラムと日本の関係史
１２．イスラムに学ぶ～日本と何が違い何が同じか</span>

当ブログでは過去投稿に同様のイスラム追求シリーズがあります。
今回の記事と併せて探求の資料とさせていただきますので掲載しておきます。
<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2010/08/001108.html">シリーズ：『イスラムを探る』　第１１回　イスラムの可能性は？</a>]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>「日本人の起源」を識る～６．アイヌ民族の謎（縄文人Ｄ２の末裔か、狩猟系Ｃ３の末裔か？）</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/05/001389.html" />
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   <published>2012-05-03T12:35:26Z</published>
   <updated>2012-05-03T08:18:15Z</updated>
   
   <summary> 画像はウィキペディアより アイヌ民族とは何者なのか？ アイヌ民族の成立を巡る議論は、文化的特徴の類似点から縄文人の末裔であるという説や、ＤＮＡ研究や人種、言語の研究からは独自に成立したという説など諸説交々です。 ただ、これまでの縄文時代前後の気候・地形状況、最初に列島に渡来した「Ｃ３」に加え、縄文人を形成したと推測される「Ｄ２」などを踏まえ、文化の融合を図ってきた歴史を見れば独自に成立したとする仮説には無理があるように感じていました。 そんな中、前回の日本に南方の風を吹き込んだ海洋の民「Ｃ１」では、気候変動（ヤンガードリアス期）による「Ｄ２」と「Ｃ１」の混血・融合について一定の方向性が示されました。 これはアイヌ民族にも当てはまるのでしょうか？ 過去の投稿を参考にみていきたいと思います。 その前にポチッ :m092: とお願いします。     ...</summary>
   <author>
      <name>yoriya</name>
      
   </author>
         <category term="Ⅱ縄文時代" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/">
      <![CDATA[<table align="right"><tr><td><a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E7%94%BB%E5%83%8F01.jpg"><img alt="%E7%94%BB%E5%83%8F01.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E7%94%BB%E5%83%8F01-thumb.jpg" width="170" height="239" /></a></td></tr>
<tr><td><Div Align="right">画像は<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C">ウィキペディア</a>より</Div></td></tr></table>

アイヌ民族とは何者なのか？<br>
<span style="color:#6666ff;">アイヌ民族の成立</span>を巡る議論は、文化的特徴の類似点から縄文人の末裔であるという説や、ＤＮＡ研究や人種、言語の研究からは独自に成立したという説など<span style="color:#6666ff;">諸説交々</span>です。<br>
<br>
ただ、これまでの<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/12/001330.html">縄文時代前後の気候・地形状況</a>、最初に列島に渡来した<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/10/001331.html">「Ｃ３」</a>に加え、縄文人を形成したと推測される<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/10/001332.html">「Ｄ２」</a>などを踏まえ、文化の融合を図ってきた歴史を見れば独自に成立したとする仮説には無理があるように感じていました。<br>
<br>
そんな中、前回の<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/03/001383.html">日本に南方の風を吹き込んだ海洋の民「Ｃ１」</a>では、気候変動（ヤンガードリアス期）による「Ｄ２」と「Ｃ１」の<span style="color:#ff3300;">混血・融合</span>について一定の方向性が示されました。<br>
<br>
これはアイヌ民族にも当てはまるのでしょうか？<br>
過去の投稿を参考にみていきたいと思います。<br>
その前にポチッ :m092: とお願いします。<br>
<a href="http://blog.with2.net/link.php?538666" target="_blank"><img height="15" alt="Blog Ranking" hspace="3" src="http://image.with2.net/img/banner/banner_14.gif" width="80" vspace="10" /></a> 
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<br>
<br>
<br>]]>
      <![CDATA[<span style="font-size:115%;"> :m282: <span style="color:#000080;"><b>１．アイヌ民族とは何者なのか？～その起源に迫る～</b></span></span><br>
アイヌ民族の起源を難しくしているのは、その文法形態（抱合語：シベリアからアメリカ一帯のネイティブ住民の言葉、エスキモー諸語、インディアン諸語等）や寒冷地適応していない南方モンゴロイドが起源であるという様々な矛盾を孕んでいる点です。<br>
しかし、この<span style="background:#FFDBA4"><b>矛盾</b>が多ければ多いほど、他民族との<b>混血・融合</b>が繰り返し行われた</span>こと示しているとも言えます。<br>
<br>
<span style="color:#000080;"><b>＜抱合語にみるアイヌ民族の起源＞</b></span><br>
日本語は<span style="color:#6666ff;">膠着語</span>（単語にくっつく助詞の違いで意味が異なる、「てにおは」を使う言語）なのに対して、アイヌ語は<span style="color:#6666ff;">抱合語</span>と呼ばれ膠着語とは全く別系統の言語です。このシリーズで扱ったＣ３（参考：<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/10/001331.html">『前縄文時代の解明（狩猟・移動の民Ｃ３）』</a>）が北海道から入り地続きの津軽海峡を経由して日本各地に拡散したことを考えれば、アイヌ民族の起源がＣ３とも言えそうですが、実はＣ３の文法も日本語と同じなのです。このことから、Ｃ３の流入以前にアメリカに渡った古いアジア系集団の特徴をもつ人々の一部が、北海道に入り抱合語を定着させた可能性が高いと言うことになります。<br>
<br>
<span style="color:#000080;"><b>＜Ｙ染色体ハプログループＤ２が主力のアイヌ民族＞
</b></span><br>
さらに、前述のようにＣ３が現在のアイヌ民族の主流を占めているかと言うとそうではありません。その後にやって来たと思われるＤ２が主流になっています。<br>
<br>
<table align="right"><tr Align="center"><td></td><td>C1</td><td>C3</td><td>D1</td><td>D2</td><td>D3</td><td>N</td><td>O1</td><td>02a</td><td>O2b</td><td>O3</td></tr>
<tr Align="center"><td>アイヌ</td><td> 0%</td><td>13%</td><td> 0%</td><td>87%</td><td> 0%</td><td> 0%</td><td> 0%</td><td> ＊</td><td> 0%</td><td> 0%</td></tr>
<Tr><Td ColSpan="11"><a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E5%88%86%E5%B8%83.html" onclick="window.open('http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E5%88%86%E5%B8%83.html','popup','width=401,height=341,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E5%88%86%E5%B8%83-thumb.gif" width="240.6" height="204.6" alt="" /></a></Td></Tr>
<Tr><Td ColSpan="11"><Div Align="right">画像は<a href="http://www.ainu-assn.or.jp/about03.html">社団法人 北海道アイヌ協会</a>より</Div></Td></Tr>
</table>
アイヌにおけるＹ染色体による系統分析は右記のようになっています。<br>
これらのことから推測すると、まずは原住民とＣ３が、その後にＤ２（Ｄ２の文法も日本語と同じ）が融合したと考えられます。<br>
なお、現在のアイヌ民族にはＤ２、Ｃ３以前に抱合語を使っていたと思われる先住民のＹ染色体は確認されていないということになります。これは調査固体の数が少ないこともありますが、そもそも先住民の数が少なく、徐々に北海度に流入してきたＣ３やＤ２と混血・融合することによって数が減っていった（絶滅していった）と考えられます。<br>
つまり、抱合語を使っていたであろう先住民が居なくなっても、抱合語だけは使用され続けたのです。<br>
これは、これまで考えられてきた民族の融合とは全く異なっていると思われます。<br>
では、改めて融合とはどういうことなのでしょうか？<br>
<br>
<br>
<span style="font-size:115%;"> :m282: <span style="color:#000080;"><b>２．融合とはどういうことか？</b></span></span><br>
先の<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/03/001383.html">日本に南方の風を吹き込んだ海洋の民「Ｃ１」</a>で提示された融合の方法を再度みていきます。<br>
<blockquote>Ｄ２はＣ１と遭遇し、その中で生きていく上でまず、相手方を注視し、彼らが用いていた言語を吸収、理解しようとした。さらには彼らと会話（コミニュケート）する為に言語を用いるようになった。Ｄ２がＣ１の言語を取り入れたのはそういう動機ではないかと考えるのです。<br>
実際この事は私たちの生活体験からも容易に想像できます。例えば何らかの事情で急に大阪で生活する事になった東京の人の場合、特に子供であればあっという間に大阪の言葉を覚え、いずれ東京の言葉を忘れてしまい２年もすればほぼ完全な大阪人になっていきます。その時の意識は、友達を作ったり、皆と仲良くしたいと言う素朴な意識です。郷に入れば郷に従えという言葉にもありますが、その土地で暮らす為にはその土地（集団）のルールを身につけるというのは殆ど<span style="background:#FFDBA4">本能に刻印された<b>同化能力</b></span>の一つなのです。<br></blockquote>

ここで挙げられているＤ２とＣ１の融合のようなものが、アイヌにおいても実現された可能性が高いように思われます。<br>
つまり、抱合語を使う先住民と最初に日本に渡来したと考えられていた<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/10/001331.html">「Ｃ３」</a>や縄文人を形成したと推測される<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/10/001332.html">「Ｄ２」</a>、後のオホーツク文化を築いた「Ｃ３」などが、先住民の生活を真似るために抱合語を学び共にアイヌ文化を形成したと思われます。<br>
その中でも特にアイヌ文化に影響を与えたと思われるのが、現在、最も多いＹ染色体ハプログループ「Ｄ２」ではないでしょうか。
では、「Ｄ２」はどのように融合していったのでしょうか？<br>
<br>
「Ｄ２」は縄文時代早期には九州にしか居なかったと思われますが、落葉樹林帯の北上に伴い「Ｄ２」もよりそれまで徐々に北上し、縄文中期の６０００年前までには三内丸山に代表されるように本州最北端、或いは一部は北海道に渡り採集漁労の縄文文化を花開かせたと考えられます。<br>
<br>
1500年続いてきた三内丸山が4500年前に突如消滅しますが、これが「Ｄ２」と先住民が融合したきっかけになっているように思われます。原因は特定できませんが、三内丸山の「Ｄ２」の民たちは四方八方へと避難を強いられることになったと考えられます。<br>
つまり、北海道の南部で生活していた「Ｄ２」の民も北方に向かわざるを得ない状況＝生死を賭けた移動を行ったと思われます（どのような事が起こったのか不明ですが、三内丸山遺跡が突然消滅した状況を鑑みると、その影響範囲は大きかったと思われます）。<br>
そのような状況下で北方移動したＤ２はアイヌの先住民と遭遇し、<span style="background:#FFDBA4">生きていくために先住民を注視し、言語を吸収し（上記のＤ２がＣ１と融合したように）融合していった</span>と考えられるのです。<br>
<br>
民族と言う捉え方をした場合、どうしても西洋のイメージが強く略奪や侵略によって言語などを含めて文化が一変するようなことを想像しがちですが、アイヌをはじめ日本列島で起こったそのような略奪や侵略ではなく、<span style="background:#FFDBA4"><b>先住民に学び・同化</b>するという争いのない融合</span>と言うべきものであったように思われます。<br>
そして、先住民に学び・同化しなければ生きていけなかった外圧状況であったが故に、先住民の言語が残り続けたと考えられます。<br>
<br>
<br>
<span style="font-size:115%;"> :m282: <span style="color:#000080;"><b>３．縄文文化（体質）を受け継ぐアイヌ民族</b></span></span><br>
「アイヌが何者なのか？」など民族の出自を考える場合、多くの学者はそのＤＮＡなどの遺伝子学的な要素や、言語学などに偏った判断を行いがちですが、そのような判断は一面的であるように思われます。<br>
前述したように、アイヌとは複数の民族が融合して出来上がった民族であると考えた方が、現在、判明している事象には整合しているように思われます。<br>
<br>
現在のアイヌ民族に最も多い「Ｄ２」は同時に縄文人の起源であるとも考えられており、両者には以下のような共通点があります。<br>
アイヌの創生神話にある二柱神による<span style="color:#FFAE35;">国生み</span>は、列島の日本書記や古事記の創世神話と類似していることや、この創世神話にみる<span style="color:#FFAE35;">自然界の様々な対象を神とするアニミズム的信仰</span>や文字を持たずに<span style="color:#FFAE35;">口承</span>で伝えられてきましたことも縄文人と同じです。<br>
また、アイヌ民族の集団は近世まで首長を擁した<span style="color:#FFAE35;">共同体としての形態</span>が取られており、縄文時代の集団形態を踏襲していたとの推論も立ちます。<br>
このような共通点があるにも関わらず、言語の違いなどで全く別の文化であると言ってよいのでしょうか？<br>
<blockquote>人間の意識は本能機能、共認機能、観念機能の三層構造となっており、初期人類が獲得した観念機能それぞれが、現在形においてその全てが作動している。<br>
この観念機能（特に言葉）は多様で容易な共認を可能にし、共認内容の無限の組み替えを可能にしてきた。我々が「文化」と呼んでいるものも、民族毎の「共認内容」のことを指している。共認内容が民族を規定しているのであって、本能（＝DNA配列）が民族を作っている訳ではない。<br>
<Div Align="right"><a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=208446">『日本人は”単一民族”共認内容が「民族」を規定する』</a>より抜粋</Div></blockquote>
<br>
つまり、言語の違いがあるにせよ、言語によって「文化」が決定される訳ではなく、<span style="color:#ff3300;">「文化」</span>はその<span style="color:#ff3300;">信仰や共認内容に規定</span>されるものであると言えるのではないでしょうか。そう言った意味において<span style="background:#FFDBA4">アイヌ人も<b>縄文文化（体質）</b>を受け継いだ民族</span>であると思われます。<br>
<br>
縄文人を形成したと思われるＤ２は、一方は江南文化（農耕）を受け入れて後の日本人、もう一方は北海道の一部で狩猟文化へと融合したアイヌ民族と考えられます。<br>
<br>
]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>日本と中国は次代で共働できるか？１５　エピローグ２～日本が中国と共働する必然とは</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/04/001391.html" />
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   <published>2012-04-21T16:32:36Z</published>
   <updated>2012-04-22T04:41:31Z</updated>
   
   <summary>このシリーズではいくつかの投稿で中国と日本の協働の可能性について触れてきました。 日本と中国は共に倭人と騎馬民族が作った国で、倭人は中国国内では江南地方に多数居住しています。その後の歴史の違いにより、双方の国民性は現在では大きく異なっていますが、それでも西洋や中東の人々との違いと比べれば極めて近く、文化や言語、生活環境も含めて同質の文化圏にあるといえます。協働できるか否かと点ではマクロ的には意思疎通が可能で、可能性は決して小さくないと思っています。 「日中学生会議実行委員会公式ブログ」より借用しました。 応援お願いしま～す。         ...</summary>
   <author>
      <name>tano</name>
      
   </author>
         <category term="Ⅴ中国文明" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/">
      <![CDATA[このシリーズではいくつかの投稿で中国と日本の協働の可能性について触れてきました。

日本と中国は共に倭人と騎馬民族が作った国で、倭人は中国国内では江南地方に多数居住しています。その後の歴史の違いにより、双方の国民性は現在では大きく異なっていますが、それでも西洋や中東の人々との違いと比べれば極めて近く、<span style="color:#ff3300;">文化や言語、生活環境も含めて同質の文化圏</span>にあるといえます。<span style="color:#ff3300;">協働できるか否かと点ではマクロ的には意思疎通が可能で、可能性は決して小さくないと思っています。

</span><img alt="P1030771_convert_20110417123930.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/P1030771_convert_20110417123930.jpg" width="420" height="340" />
「<a href="http://jcsc30th.blog71.fc2.com/blog-category-2.html">日中学生会議実行委員会公式ブログ</a>」より借用しました。

応援お願いしま～す。
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]]>
      <![CDATA[しかし、巷の書籍では中国人や中国の問題は取り沙汰され、日本人は決して中国人を信用してはいけない、騙される、交渉上手な中国人には赤子の手を捻られるようにまんまと騙されるなどの紙面が踊ります。たしかにそういう部分はあるでしょう。<u>しかし中国と日本の悪しき関係は近年作られた政治的色彩</u>がかなり強い側面もあります。

現在は中国と日本の間にアメリカが割って入り<u>両国の国交を決して前に進めさせないようにコントロールしています</u>。さらに中国国内では<u>共産党独裁の手法として対日戦略が取られ</u>、中国国民のガス抜きとナショナリズム形成の為にアジアの経済大国である日本を目の敵にしてきました。

現在でも情報統制がなされる中、<span style="color:#ff3300;">日本の実態や歴史の事実は大衆には正しく伝わらず</span>、しばらくは日中の険悪な関係は継続すると思われます。

<img alt="%E5%9B%BD%E4%BA%A4%E5%9B%9E%E5%BE%A9.bmp" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E5%9B%BD%E4%BA%A4%E5%9B%9E%E5%BE%A9.bmp" width="276" height="183" />　<img alt="%E9%9D%96%E5%9B%BD.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E9%9D%96%E5%9B%BD.jpg" width="140" height="183" />


一方で日本の国政も田中角栄を除いては中国に近づくことができず、近づけばアメリカからの要請や下手すれば失脚に繋がるわけで、小泉のように中国が最も嫌う靖国参拝をすることで己の親米意識を示すなど、反中国の政策が政治生命に直結してきました。
このようにアメリカの監視の中で日中の関係は常に緊張と反発を続けるのですが、すでにアメリカの力はこの間失われてきており、早晩ドル暴落と共に自国の事で目一杯になり、日中監視に手が回らなくなるはずです。
また、中国でも<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/03/001378.html">先の記事</a>でその可能性を観たようにすでに共産党独裁の萌芽が始まっており、こちらも最大顧客のアメリカ崩壊に引きづられて国内の混乱、共産党の崩壊が進行するでしょう。未来論にはなりますが、共産党崩壊後は中国はいくつかの地域に分裂する可能性があります。

ここからは中国との協働の可能性基盤を見て行きます。
国レベルと民間レベル２つの視点で見ておきます。

 :m281: <span style="color:#ff3300;">国レベルの共働の可能性</span>
アジアでは中国に限らず、<u>先行している日本の状況を良くも悪くも注視しています</u>。
日本はバブル崩壊を経験し、低成長経済も経験、高齢化社会にも最も早く直面しました。また、政治の腐敗、機能停止もアジアの中である意味先行しています。
<u>日本がさまざまな外圧にどう対処しているかはアジア諸国の先例になっているのです。</u>中国が次に必ず直面するのが<u><strong>バブル崩壊</strong></u>です。さらにその後の<u>低成長経済、マイナス成長経済</u>です。
上記で示したように<u>分裂した中国国内の中で日本と手を取る事を選択する地域</u>が必ず出てくると思われます。<strong><span style="color:#ff3300;">それは私には台湾も含めた南の方の地域、稲作農耕地域を保有する郡、国ではないかと予想します</span>。</strong>なぜならば南の地域はいまだに<strong>共同体性を温存</strong>させており、文化的交流、経済的交流を通じて中国の再建を支援していく形で日中は繋がっていく可能性が歴史的にもかなり高いのではないかと期待します。

一方、中国の北のほうはロシアに取り込まれ、日本との関係はより一層、緊張関係になるように思います。

 :m283: <span style="color:#ff3300;">民間レベルでの共働の可能性</span>
日中民間交流は現在でもあらゆる分野で進行しています。2万5千社の日本企業が中国に進出し、1000万人以上の中国人労働者を雇用しています。中国から日本への進出はまだ少ないですが、それでも年々増加しています。
<u>民間レベルでの交流は経済ベースではありますが、既にしっかりと協働している</u>というのが現在の時点で、今後アメリカ経済の崩壊に伴い、よりその協働は進行していくのではないかと思われます。

これまでも日本企業は中国を理解しなければ現地での商売はできないなどと言われて来ましたが、<u>逆に言えば中国に同化し最も理解できる最右翼は日本でしかなく</u>、欧米でも韓国でもないのではないかと思われます。先の記事に道教の例を挙げましたが、大衆レベルでは<span style="color:#ff3300;">無宗教で西洋型個人主義に染まらず（相手にせず）バンといういびつな形とはいえ集団をベースに生活を営んでいる中国国民</span>は共同体体質の日本とある意味共通性がなくはありません。

問題は現在も貧富の差が大きく、いまだに私権社会（お金が全て）が濃厚に残っている中国人と既に私権社会から共認原理（お金よりやりがい）に移行している日本人との価値観の差です。しかし、それも今後徐々に差が縮まり、長い目では中国が変わっていく事になると思います。

 :m285:  :m285:  :m285:  :m285:  :m285:  :m285:  :m285:  :m285:  :m285:  :m285:  :m285:  :m285:  :m285:  :m285:  :m285: 
これら、非常に楽観的な予測かもしれません。もしうまくいかなかったらどうする？中国は核も持っているし、いざ国内が荒れたら日本に何をしてくるかわかったものじゃない、 :evil: などとお叱りの意見を受けるかもしれません。

<strong><span style="color:#ff3300;">しかし、これだけは言っておきたいという事があります</span>。</strong>

数年以内におとずれる可能性がある経済破局以後の<u>世界は必ず様相が代わります</u>。
それまでの<u>西側優位の市場社会が破綻混乱し、市場原理によらない社会が模索されていきます。</u>一説ではアジアかイスラム圏から次の牽引国が登場すると言われています。日本に期待されているのは<span style="color:#ff3300;">市場主義以後の社会の世界共認の先頭を走る</span>事です。

私権原理から共認原理へ転換しつつある現在、共同体性を備える日本がその可能性を有していますが、現時点でアメリカという負の関係を維持し続けている日本はどの時点でその関係を解消して自ら歩き出すかが問題となっています。
しかし一旦歩き出したら、協働する国をいくつかみつけていかなければなりません。それが同じアジア圏での大国インドであり、中国であり、東南アジアの友好国なのだと思います。彼らとの協働なくして、世界共認は作れないでしょうし、次の流れは作り出せないと思います。その意味で、日本と中国とは必ずどこかで協働路線に移行していかなければならないと思うのです。

その為にも中国との関係の中で、<span style="color:#ff3300;">まずは互いの国の史実をより深く理解し、現在覆っている国家的イデオロギーを除いていく</span>必要があります。今回のｼﾘｰｽﾞはそのきっかけとして位置づけていきたいと思います。中国の方、中国関係者の方もこの記事を読んでおられると思います。日中は理解しあえる、その為には<span style="color:#ff3300;">相手を否定せず、自ら事実を学ぼうとする事</span>だと思います。

長く続いたこのシリーズも今回をもって終了します。
お付き合いありがとうございました。（管理人）]]>
   </content>
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   <title>シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」～似て非なる「陰陽道」～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/04/001390.html" />
   <id>tag:blog.kodai-bunmei.net,2012:/blog//1.1390</id>
   
   <published>2012-04-18T13:54:43Z</published>
   <updated>2012-04-28T10:22:12Z</updated>
   
   <summary> 　wikipediaからお借りしました～ 　 古代人の思考から可能性を探る、シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」 　 前回の投稿では、古代人の思考と現代人の思考の違いを扱いました。 詳しくは・・シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」～「カタカムナ」の世界観（２）～ をご覧下さい。 　 民族学者の折口信夫が示した、万物のあいだに類似性や共通性を見出す「類化性能」と物事の違いを見抜く「別化性能」、この両極端な思考の違いが、古代人と現代人の思考の違いと言えます。 　 それでは、なぜこんなにも古代人と現代人の思考方法は違うのでしょうか。 長い歴史の中でどこで変わっていったのか。 　 この思考が変化していった背景を今回は探りたいと思います。 　 本題に入る前に、 :m118: こちら :m118: をクリック！   ...</summary>
   <author>
      <name>vaio</name>
      
   </author>
         <category term="Ⅰ文明前夜・石器時代・巨石文明" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/">
      <![CDATA[<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E5%A4%AA%E6%A5%B5%E5%9B%B3_svg.png"><img alt="%E5%A4%AA%E6%A5%B5%E5%9B%B3_svg.png" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E5%A4%AA%E6%A5%B5%E5%9B%B3_svg-thumb.png" width="180" height="180" /></a>
　<span style="font-size:70%;"><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD">wikipedia</a>からお借りしました～</span>
　
古代人の思考から可能性を探る、<strong>シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」</strong>
　
前回の投稿では、古代人の思考と現代人の思考の違いを扱いました。
詳しくは・・<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/04/001387.html">シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」～「カタカムナ」の世界観（２）～</a>
をご覧下さい。
　
民族学者の折口信夫が示した、万物のあいだに類似性や共通性を見出す<span style="color:#009933;"><strong>「類化性能」</strong></span>と物事の違いを見抜く<span style="color:#6666ff;"><strong>「別化性能」</strong></span>、この両極端な思考の違いが、古代人と現代人の思考の違いと言えます。
　
それでは、なぜこんなにも古代人と現代人の思考方法は違うのでしょうか。
長い歴史の中でどこで変わっていったのか。
　
この思考が変化していった背景を今回は探りたいと思います。
　
本題に入る前に、 :m118: こちら :m118: をクリック！
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      <![CDATA[いつもありがとうございます :D 
　
前回紹介した折口氏は奈良時代の頃から別化性能が発達してきたと述べています。
そこで、古代人の思考：カタカムナと近い思想として、<span style="color:#CC6600;">「陰陽説」</span>を紹介しているブログを見つけましたので、まずはその記事を紹介します。
　
<a href="http://www.sayuu.net/blog/2012/01/002176.html">「カタカムナに学ぶ～食や性の本来性は宇宙の輻射エネルギーとのバランス」
ブログ：日本を守るのに右も左もない　</a>より

<blockquote>【３】宇宙の諸天体や地球が放出する輻射エネルギー（陽電子と陰電子）に適応するように（バランスするように）生物や人間はサヌキ（陽電子）アワ（陰電子）を摂取・排出しなければならない。それが食や性という機構の本質的役割（本来性）である。
そのことを指しているのが「食と性の本性は、宇宙の生気（イブキ）につながり、食本能、性本能の現象も、宇宙的広域からの作動によるものである」という一文であろう。

この点で、<span style="background:#FFE3E3">カタカムナの宇宙認識と似ているものとして陰陽説がある。おそらくは、中国江南地方の採集部族もカタカムナと同じような認識を持っており、陰陽説はその末裔ではないだろうか。</span>
『体温を上げる料理教室』（到知出版社）の著者若杉友子氏は、宇宙は陰陽から成り立っており、人間の体も食物も陰陽の組合せであること、そして、陰陽の法則に基づいてそのバランスをとるような食生活が必要であることを提起している。

「この宇宙の万物は陰と陽からできている」
東洋には数千年も前から「万物は陰陽より成る」という哲学があり、そこでは陰陽は宇宙に存在して、万物を常に新しく創造して、動かして、破壊して、再び造り上げる根本的で相対的なエネルギーだと考えている。

「陽性は右回転のエネルギー、陰性は左回転のエネルギー」
宇宙は回転エネルギー、渦巻きによってできている。大きなものでは星雲や太陽、小さなものでは元素とか素粒子も回転している。人間の頭のつむじも指紋も渦巻きになっている。</blockquote>
　
このように、<span style="color:#CC6600;">「陰陽説」</span>は、万物が陰と陽の相対的な回転エネルギーによって出来ており、その収縮性と拡張性のエネルギーのバランスによって世の中は成り立っているという考え方です。
　
この考え方は、カタカムナの捉え方である、正反対称性とひずみ性に似ています。
<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/04/001387.html">シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」～「カタカムナ」の世界観（２）～</a>より
<blockquote>天然自然に存在するものには、すべて正と反（陰と陽）が存在している。究極の正反は「カム」と「アマ」の関係である。次の正反は、アマ始元量の究極粒子であるマリの正反である。マリの正反は、マリの回転方向の違い、すなわち右回りか左回りかによって生じている。</blockquote>
　
そして、万物を陰と陽という世界で捉えることは、物事の関連性、類似性を捉えて整理していく、万物を繋げていく<span style="color:#009933;">類化性能の思考</span>と言えるのではないでしょうか。
　
このように、<span style="color:#CC6600;">「陰陽説」</span>は古代人の思考を引き継いでいるものだと言えそうですが、この陰陽説を利用した<span style="color:#000080;">「陰陽道」</span>は少し違った傾向を示します。
　
<a href="http://www.amakomi.com/onmyodo.htm">陰陽道について</a>より
<blockquote>●陰陽道とは？？

陰陽道は太古に発生した中国の民間信仰で、天の動きと人の世の動きには関係があるという思想（天人相関）に立ち、万事に吉凶を天文の変化から予知し、これによってどう対処してゆくかを決めるものです。
陰陽道の核になっているのは、中国の戦国時代に発展した、万物に陰陽の二元的原理を立てる「陰陽説」と、五行という五つの概念を組み合わせることにより、すべての存在や現象を解釈することによりその意味を考える「五行説」を組み合わせて作られた「陰陽五行説」です。
陰陽師（陰陽道の担い手）はそれらの考え方に基づき、天体を観測し、暦をつくり、時をはかり、各種の器具を考案して占いをします。</blockquote>
　
<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/Heaven_stem_relation.html" onclick="window.open('http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/Heaven_stem_relation.html','popup','width=644,height=720,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/Heaven_stem_relation-thumb.png" width="193" height="216" alt="" /></a>
　<span style="font-size:70%;"><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD">wikipedia</a>からお借りしました～</span>
　
<span style="color:#000080;">陰陽道</span>は、陰陽説を応用しつつ五行説を加えて、物事を分類し体系化する形となっています。そして行ったのは行動の指標となる、吉凶の判断。
目的が吉凶の判断となったために、まずは物事を分類する思考に変わっていき、万物の繋がりではなく、分類のパターンを決める方向に向かった。
　
その背景には、当時（奈良・平安）の朝鮮渡来の支配層は私権意識が強く、支配層と庶民を分け、国家統治のために様々な階層を作り出していった状況が挙げられます。
（奈良時代からの律令制、冠位十二階など）
つまり、分類していく思考、<span style="color:#6666ff;">別化（異化）思考</span>を好んだことは容易に推測できます。
そのため、私権意識の強い支配層の求める吉兆判断の手段として利用される陰陽道も別化思考に変質していったということでしょう。
　
つまり、<span style="background:#FFE3E3">陰陽道は私権意識の拡がっていく社会の中で、類化思考から別化思考に変化していく中で生まれてきた思想であり、それが現代人の思考にまで繋がっている</span>のではないでしょうか。
　
そのため、<span style="background:#C8FFFF">陰陽道は古代人の思考とは似て非なるもの</span>であり、古代人の思考の名残を残した劣化態と言えると思います。
　
今回は陰陽道を通じて類化思考から別化思考への変遷を扱いました。
私権意識の拡大をきっかけに現代まで蔓延した別化思考は、私権の衰弱とともに見直されるのも必然と思われます。
私権時代以前の思考：類化思考の追求の重要性も高まりますね。
　
まだまだ古代人の思考：類化思考とその可能性の追求は続きます。
お楽しみに～ :D 
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   </content>
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   <title>日本と中国は共働できるか？１５～エピローグ１（中国を識る）</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/04/001388.html" />
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   <published>2012-04-10T12:52:40Z</published>
   <updated>2012-04-10T14:08:37Z</updated>
   
   <summary>このテーマを半年間あまり縄文ブログ仲間と議論し追求を重ねてきました。 :-)  その為にはまずは中国の歴史を知るべし、それも教科書の内容ではなく、裏の本質部分を少しでも深く抉り取りたい、そんな思いでこのブログの記事を積み重ね、私たちなりには一定の成果はあったのではないかと自負しております。 さて、冒頭のテーマの答え をそろそろ出さなければなりません。 結論を急ぎたいところですが、中国を識る という事で、まずはこのブログで展開してきた記事を総集してみます。各記事で書かれた文章の中から ここぞ:tikara: というポイントを抜粋して振り返っていきます。 各記事の後ろにこのテーマで設定した５つのジャンルテーマ 　支配・戦争/市場/思想/大衆/気候外圧を明記しておきます。各ジャンル毎に時代を経て３つから４つの記事で書かれており、ジャンル毎に読まれても通史が見れます。  :m282: 支配・戦争　リンク１・リンク２・リンク３・リンク４・リンク５　  :m282: 市場 リンク１・リンク２・リンク３  :m282: 思想　リンク１・リンク２・リンク３  :m282: 大衆　リンク１・リンク２・リンク３  :m282: 気候外圧　リンク１ （ :m116: ジャンル別記事） いつものポチリをお願いします。         ...</summary>
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      <name>tano</name>
      
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         <category term="Ⅴ中国文明" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[このテーマを半年間あまり縄文ブログ仲間と議論し追求を重ねてきました。 :-) 
その為にはまずは中国の歴史を知るべし、それも教科書の内容ではなく、裏の本質部分を少しでも深く抉り取りたい、そんな思いでこのブログの記事を積み重ね、私たちなりには一定の成果はあったのではないかと自負しております。

さて、<u>冒頭のテーマの答え</u> をそろそろ出さなければなりません。
結論を急ぎたいところですが、<span style="color:#ff3300;">中国を識る</span> という事で、まずはこのブログで展開してきた記事を総集してみます。各記事で書かれた文章の中から <u>ここぞ</u>:tikara: というポイントを抜粋して振り返っていきます。

各記事の後ろにこのテーマで設定した５つのジャンルテーマ
　<span style="color:#ff3300;">支配・戦争/市場/思想/大衆/気候外圧</span>を明記しておきます。各ジャンル毎に時代を経て３つから４つの記事で書かれており、ジャンル毎に読まれても通史が見れます。

 :m282: <span style="color:#ff3300;">支配・戦争</span>　<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/10/001327.html">リンク１</a>・<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/12/001352.html">リンク２</a>・<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/01/001367.html">リンク３</a>・<a href="http://www.kodai-bunmei.com/blog/2012/03/001380.html">リンク４</a>・<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/04/001386.html">リンク５</a>　
 :m282: <span style="color:#ff3300;">市場</span> <a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/10/001334.html">リンク１</a>・<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/12/001359.html">リンク２</a>・<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/02/001373.html">リンク３</a>
 :m282: <span style="color:#ff3300;">思想</span>　<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/11/001342.html">リンク１</a>・<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/01/001365.html">リンク２</a>・<a href="http://www.kodai-bunmei.com/blog/2012/03/001380.html">リンク３</a>
 :m282: <span style="color:#ff3300;">大衆</span>　<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/12/001347.html">リンク１</a>・<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/02/001371.html">リンク２</a>・<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/03/001378.html">リンク３</a>
 :m282: <span style="color:#ff3300;">気候外圧</span>　<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/12/001348.html">リンク１</a>
（ :m116: ジャンル別記事）

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      <![CDATA[<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/09/001322.html">プロローグ「日本と中国は次代で共働できるか」</a>
このような内戦につぐ内戦を繰り返した国家の歴史を持つ国は他に事例がありません。
つまり、<strong>この支配者と大衆の間の繰り返す内乱こそ中国を読み解くポイント</strong>であり、なぜそのような状況が生まれたのか？を見ていく事が中国の幇に代表される集団的自我、中華思想に代表される国家的自我を解明する手がかりではないかと思います。

<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/10/001327.html">１．国家形成前、夏・殷・周時代の支配・戦争の歴史</a>（<span style="color:#ff3300;">支配・戦争１</span>）
中国はこのように有史以降は遊牧民が国を作り国を壊していった過程が長く続きました。<strong>しかし、一点忘れてはならないのが、争いに塗れた支配層の下で農耕民は生産の担い手として重宝され、西洋のように皆殺しや殺戮は行なわれなかったという事です。</strong>支配者となった遊牧民は農耕民には容易に転じず専ら彼らから交易や徴税して搾取する事で生計を立てていたのです。それがこれから読み解く中国の基本構造ではないでしょうか？

<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/10/001334.html">２．中国の市場国家の起源とは？</a> （<span style="color:#ff3300;">市場１</span>）
人類は洞窟を出て地上に進出し、集団の拡大→分化を繰り返し、同類闘争の潜在的な緊張圧力が働き始める中、「贈与」＝互いに贈物etc.を通じて友好関係の構築に努め、闘争を回避していました。一方、後に登場した遊牧部族は、それとは違った地域間交流をしていました。遊牧という生業ゆえに登場した「交換」「交易」がそれです。
⇒中国が市場国家であるのは同時に遊牧国家と同義と言えます。遊牧民は元々、移動、交換によって成り立っていたのです。<strong>物資を移動し交換する市場の原型とは遊牧民の生活スタイルを延長させたものと言えるでしょう。</strong>

<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/11/001342.html">３～道教から中国の可能性を探る</a>（<span style="color:#ff3300;">思想１</span>）
中国では、受け入れ体質の農耕民に対して、その集団性や文化を残したまま支配しました。<strong>共同体（共認充足）が温存された結果、現実は充足対象のままであり、西欧のような現実否定に基づく架空観念（ex.あの世）は必要なかったのです。</strong>
中国人の意識の深層に、本源性を色濃く残した道教の精神が残っているのなら、その道教（の精神）を紐帯として協働の可能性はあるでしょう。

<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/12/001347.html">４～中国の大衆史①母系から父系に転換したのは何で？～</a>（<span style="color:#ff3300;">大衆１</span>）
中国の集団は大家族単位の父権社会を強固に維持していく事になります。秦、漢時代を通じて、大衆の強制移住、集団移住は繰返され、土地に根ざさない移動の民、中国の大衆の意識を作り上げていきます。<strong>しかし移民であるが故に常に移動した先での外圧は高く、家父長のリーダーシップが集団の命運を決定付けました。</strong>その意味では中国にとっての家族とは国家からの強烈な法制圧力、理不尽な強制力への大衆側でとった唯一の抵抗手段でした。

<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/12/001348.html">５～中国の自然外圧は豊か？厳しい？ </a>（<span style="color:#ff3300;">気候</span>）
中国の自然破壊とそれによってもたらされる災害は既に自然外圧ではなく人災であると言えます。現在この環境の再生に政府はようやく気づき、その途につき始めていますが、所詮ビジネスの枠の中で考えており、自らの自然観を疑ってみるようなことはしていません。中国と日本が共働できるかどうかを困難にしているのは、経済や国家体制のみならず、この自然に対する考え方の差異にあると思われます。つまり、<strong>日本人は中国の（開発指向の）自然観が理解できず、中国人も日本人の（摂理を重んじる）自然観を理解しようとしない。この溝をいかにして埋め合わせていけるのかが、このテーマの本質の一つだと思います。</strong>

<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/12/001352.html">６～春秋戦国時代～秦・漢時代の支配・戦争の歴史</a>（<span style="color:#ff3300;">支配・戦争２</span>）
このように、<strong>秦の時代に形成され漢に継承された唯我独尊の『徳化』志向が、中国の思想の底流に刻印されたのです</strong>。「徳化」とは、中国の君主の徳に相手が“同化されること”で、一人の中国の君主のもとに、あらゆる地域の人間が、また民族が、中国の君主の権威高揚のための手足となり、一人のためだけの世界が成立することを理想として打ち出されたものです。

<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/12/001359.html">７～鉄によってもたらされた中国の市場</a>（<span style="color:#ff3300;">市場２</span>）
西洋の市場が王族に限られた幻想商品の段階に留まっていたのに対して、中国では大衆レベルまで裾野が広がっており、その商品の中心は生活必需品に近い鉄や塩といった、いわば「実質市場」に終始していたからだと考えられます。つまり、<strong>中国の市場は「幻想市場」を経由せずいきなり「実質市場」から始まったのです。</strong>

<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/12/001359.html">８～諸子百家とはなんだったのか</a>（<span style="color:#ff3300;">思想２</span>）
支配層から大衆までをも一貫する私権確保の目標。これを実現するための統合思想への期待。それを実践する官僚という役割への収束。そして、多くの官僚を登用しうる各国の経済力。中国において諸子百家を登場させた、帝国王朝成立前夜の状況です。
群雄割拠の戦乱期、各国が富国強兵を推進し、覇者となり各国を支配するため求められた高度な思想や制度的方法論。<strong>そのような各国の現実的な統合期待（政治的要請）に応えるため登場したのが諸子百家です。</strong>

<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/01/001367.html">９～遊牧民からみた中国史</a>（<span style="color:#ff3300;">支配・戦争３</span>）
このように時々の遊牧民の影響を常に受け、匈奴、鮮卑、モンゴルと中央アジアの支配者の力学で変化していったのが大国中国です。
しかし、常に前代の王朝のシステムを継承し、それを先鋭化させていくという方法は　いかにもどの時代を取っても支配者は同郷である中央アジアの遊牧民であることを示しています。<strong>その意味で徹頭徹尾遊牧民による支配国家が中国という国家の実態なのでしょう。</strong>

<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/02/001371.html">１０～中国の大衆史②”幇”の構造。切っても切ってもつながる中国人</a>（<span style="color:#ff3300;">大衆２</span>）
しかしこの幇を紐帯として集団で生きることを選んだ中国の人々を私たちは異常で愚かな人たちとみることはできません。中国は周辺遊牧民が次々と乱入し、農民は食い物にされてきた歴史があります。<strong>そんな中で生きるための処世として、繋がるための幇をつくり適応していったのではないかと考えます。</strong>その意味では人間関係の中に可能性を求める集団性を残した中国人とみることもできます。

<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/02/001373.html">１１～宋代の経済力を支えた江南地方の稲作農耕民</a>（<span style="color:#ff3300;">市場３</span>）
遊牧民の支配体制は、その土地の集団や社会制度は温存したまま支配するという二重支配がその特徴ですが、宋も同様に支配したと思われます。それゆえ、稲作農耕民の村落共同体はそのまま残り共同作業が不可欠な水田稲作において、彼らの高い共同性や勤勉性が発揮され、それにより高い生産力を実現したのではないでしょうか。
<strong>宋代とは、それまでの漢族・（漢化した）遊牧民中心の華北文化に、南方の稲作農耕民の文化が深く浸透した時代だったと言えるかも知れません。</strong>注目したいのは、この宋代の江南地方の稲作農耕民の存在であり、その中国国家に対する影響です。日本に稲作を伝えた末裔とも考えられる彼らとならば、次代で共働できる可能性がありそうです。

<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/03/001378.html">１２．経済破局後、国家の束縛から解かれた地方都市と中国人特有の集団性にこそ可能性がある～</a>（<span style="color:#ff3300;">大衆３</span>）
また、中国の改革・開放期以降、地方分権により、地方の権限がかなり強化されました。これによって地方の自律性が高まっています。今後、共産党の統合力が弱まるにつれて、地方都市の独立性が高まってくると考えられます。中国人を長年拘束してきた、私権の強制圧力が衰弱し、その呪縛から解き放たれた時、中国人は本来の農耕民としての勤勉性を取り戻す可能性があります。元々幇に見られるように集団性に長けた中国人です。
<strong>日本と中国が協働できる可能性の糸口は、地方都市の独立と中国特有の集団性の2点であると最後にまとめておきたいと思います。</strong>

<a href="http://www.kodai-bunmei.com/blog/2012/03/001380.html">１３．中国の共産主義に可能性はあるのか</a>（<span style="color:#ff3300;">思想３</span>）
<strong>一方、日本が中国と共働する意味は、根本的には脱欧米路線です。</strong>　否定発の共産思想を超え、新たな思想を構築できるのは、肯定発の縄文気質が残る日本人しかいません。今、資本主義が行き詰まりを見せる中、日本は世界を先導する新たな理論の構築とその実践の場になることが求められています。そのとき、初めて真の意味で中国との共働が可能になるのです。

１４．<a href="http://www.kodai-bunmei.com/blog/2012/03/001380.html">中国の軍事力は脅威か？その１/</a><a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/04/001386.html">中国の軍事力は脅威か？その２</a>（<span style="color:#ff3300;">支配・戦争４</span>）
<strong>人民解放軍は、中華人民共和国という国家が自分を防衛するために作り出した軍隊ではない。</strong>既に出来上がっている中華民国という国の中で、圧倒的に優勢な国民党に反抗した共産党という少数派が、生き残るために武器をとって必死に戦った。その戦いの中で自然と育ってきた軍隊だ。すなわち、最初から内戦用に作られた共産党の軍隊なのである。

この軍隊は冒頭でも述べた通り、元々の出自が国防軍ではなく革命軍であり、バンの絆を紐帯とした地方軍閥の色彩も濃厚に残していることから、地方の独立の動きが活発化し、共産党の勢力が極端に低下すれば、中央の意向は行き届かなくなり、地方の防衛軍として機能していくこともあるかもしれない。
<strong>中国は抑止力としての軍事力は保有しているが、過去の歴史を振り返ってみても、対外戦争を行ったことはなく、侵略戦争を自ら起こす可能性は極めて低いと考えられる。</strong>]]>
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   <title>シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」～「カタカムナ」の世界観（２）～</title>
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   <published>2012-04-07T08:15:07Z</published>
   <updated>2012-04-27T09:02:01Z</updated>
   
   <summary> 画像はこちらからお借りしました。 今回のシリーズは、古代日本人の思考方法を学ぶことで、旧観念に捉われた我々現代人の新たな突破口を見出すことができるのではないか？という仮説をもとにカタカムナに焦点を当てて事実解明に取り組んでいます :wink:  前回までの記事でわかったことは、カタカムナの本質は、『物事の全てに共通事項を見出すという同化思考＝相似象』にあるということです :D  さて、今回の記事では、カタカムナ文献をさらに読み解いていって、具体的な相似象の事例と法則、さらには古代人の思考方法と現代人の思考方法とでは何が異なるのか？の核心部分に迫っていきます :m027:  本シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」の前回までの記事はこちらから :m118:   :m057: ～プロローグ～ :m057: ～カタカムナとは何か～ :m057:～「カタカムナ」の世界観（１）～   古代人の思考方法を知りたい！とお思った方は応援お願いします :m030:     ...</summary>
   <author>
      <name>marlboro</name>
      
   </author>
         <category term="Ⅰ文明前夜・石器時代・巨石文明" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/">
      <![CDATA[<img alt="%E5%9E%8B%EF%BC%AB%E7%84%A1%E5%90%8D.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E5%9E%8B%EF%BC%AB%E7%84%A1%E5%90%8D.jpg" width="295" height="295" />
画像は<a href="http://labopf.blog.so-net.ne.jp/archive/c25365663-1">こちら</a>からお借りしました。

今回のシリーズは、古代日本人の思考方法を学ぶことで、旧観念に捉われた我々現代人の新たな突破口を見出すことができるのではないか？という仮説をもとにカタカムナに焦点を当てて事実解明に取り組んでいます :wink: 

前回までの記事でわかったことは、カタカムナの本質は、<span style="color:#6666ff;"><strong>『物事の全てに共通事項を見出すという同化思考＝相似象』</strong></span>にあるということです :D 

さて、今回の記事では、カタカムナ文献をさらに読み解いていって、具体的な相似象の事例と法則、さらには古代人の思考方法と現代人の思考方法とでは何が異なるのか？の核心部分に迫っていきます :m027: 

本シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」の前回までの記事はこちらから :m118:  
:m057: <a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/03/001377.html">～プロローグ～</a>
:m057: <a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/03/001382.html">～カタカムナとは何か～</a>
:m057:<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/04/001384.html">～「カタカムナ」の世界観（１）～</a>
 
古代人の思考方法を知りたい！とお思った方は応援お願いします :m030: 
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      <![CDATA[前回に引き続き、<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=255824">【楢崎皐月氏のカタカムナ説（３）　宇宙を構成する８つの相似象 冨田彰男</a>】より引用させていただきます。

<blockquote>********************************************************************
<a href="http://yakoto99.web.fc2.com/dion/kikanhoh/new_page_9.htm#1">『フォッサマグナ沿線の温泉めぐり』</a>　「カタカムナ文献」
リンクから、楢崎皐月氏の説の紹介です。

－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－
●第６項　天然は八種類の相似象から成っている

カタカムナ人が見抜いた基本的な相似象は、天然には「球」の相似象があるということだった。天然の大きなものは宇宙球から、恒星、惑星がすべて球であるし、ミクロなものでは原子、原子核、電子が球型である。水も丸くなる性質がある。

カタカムナ人は、このもとは天然のすべてのモノの素粒子であるアマ始元量の微分量である「マリ」が球状であることにある、と観じていた。カタカムナ人は、アマ始元量の微分されたものを〈アメ〉といっている。〈アマ〉は始元量全体の名称で、この素量は（アマから出た芽〈メ〉という思念）で〈アメ〉と呼んでいる。また、〈アメ〉の個々の球状のものを〈マリ〉と呼んでいる。

カタカムナ人が、天然の相似象だけでなく、その他さまざまな相似象があるが、カタカムナ人はそれらすべて、アマ始元量の性質の表れたものであると直観していた。どんな相似象を見抜いていたかというと、およそ次の八種類だという。

<span style="color:#000080;"><strong>【１】正反対称性とひずみ性</strong></span>
天然自然に存在するものには、すべて正と反（陰と陽）が存在している。究極の正反は「カム」と「アマ」の関係である。次の正反は、アマ始元量の究極粒子であるマリの正反である。マリの正反は、マリの回転方向の違い、すなわち右回りか左回りかによって生じている。

なお、すべて正と反が対照的に存在しているが、まったくの対称ではなく、ややひずみをもった対称であるところに特徴がある。これを正反対称性とひずみ性といっている。究極粒子マリは、完全な求形ではなく、ややひずみがある。そのために回転運動が生じ、さまざまな性質や変化が現われるのである。

ヤサカノマガタマは究極粒子「マリ」を表象しているが、完全な球ではなく、マガタマであることがひずみ性を表している。マリの正反対称性の相似象として、現象界に存在するものはすべて正と反が存在しているのである。たとえば、男と女、昼と夜、右と左、縦と横、過去と未来、暑いと寒いなどである。

<span style="color:#000080;"><strong>【２】旋転、巡回、ら旋の回転性</strong></span>

アマ始元量は、究極粒子マリが回転運動し、しかもら旋的な回転をしている。この性質が、相似象でさまざまな現象として現われている。

ミクロなものでは、原子の中で、原子核、電子が自転し、電子は原子核の周りを回転している。大きなものでは、太陽、地球、月は自転し、地球や火星などの惑星は太陽の周りを公転している。太陽系全体も上位の太陽の周りを公転している。さらに大きくは銀河系や星雲なども渦回転している。宇宙球においても、宇宙球全体が旋転している。

<span style="color:#000080;"><strong>【３】対向発生</strong></span>

正と反が対向すると新しいものが発生するという性質がある。究極はカムナとアマナの対向発生である。カムナとアマナが対向すると、さまざまのものが発生する。すなわち宇宙においては、カムナとアマナの対向により物質や生命体やさまざまな星が生成する。その相似象として、雌雄が交わるとこどもが生れるという現象がある。インスピレーションも、人間の内部のアマナと宇宙のカムナとの対向発生の結果である。

<span style="color:#000080;"><strong>【４】同種反発、異種親和</strong></span>

究極粒子のマリにも正と反があるが、このマリには同種のものは反発し、異種のものは親和するという性質がある。この性質は相似象として現象世界に現われている。たとえば、磁石の同極同士は反発するが、異極同士はくっつくとか、人間も男女の異性間は親和するなどの現象である。

<span style="color:#000080;"><strong>【５】統計的存在性</strong></span>

これは、マクロに見ると一定の固定したもののように見えるが、ミクロには絶え物質の出入りや発生と消滅が起こっており、統計的に一定なものであるという性質。宇宙球は、一定の形をもった有限のものであるが、絶えずアマ始元量が流入流出している回転流動体の統計的存在である。

この相似象は、人間や素粒子に見られる。すなわち、人間は、ミクロには絶えず細胞の新陳代謝が起こって肉体は入れ替わっている統計的な存在である。また、電子などの素粒子も固定された一定のものではなく、これを構成するさらに超ミクロの素粒子が絶えず流入し流出している統計的存在であると推定されている。

<span style="color:#000080;"><strong>【６】重合互換性</strong></span>

重合性というのは、異なるものが重なり合って共存するという性質である。アマ始元量には、左旋性と右旋性、膨張性と収縮性、粒子性と波動性などの相反する性質が同時に存在する。また、物質にアマナという潜象界のヌシが潜在するなどの例である。互換性というのはアマ始元量のマリがトキやトコロに互換したり、イカツミ（電気）、マクミ（磁気）、カラミ（力）などに変換したりする性質である。アマ始元量が現象世界の物質に変化することも互換性による。

<span style="color:#000080;"><strong>【７】微分、統合性の周期性</strong></span>

アマ始元量には、分化して小さくなる性質とまとまって統合し大きくなる性質、すなわち波動性や粒子性、膨張性や収縮性という相反する性質が同時に存在する。この他に、それぞれには抗膨張性や抗収縮性という、それらに逆らおうとする性質も存在する。これらを「正反四相」という。現象界における相似象としては、光が粒子としての性質と波動としての性質の二面性をもつなどの現象が挙げられる。

<span style="color:#000080;"><strong>【８】極限循環性</strong></span>

アマ始元量は、宇宙球に流入したのち、きわめて長い時間かかって流出する循環サイクルをしている。この間、アマ始元量はさまざまに返遷する。たとえばアマ始元量でできるさまざまな物質や生命体は、生成（発生）・成長・極限（飽和）・崩壊（死）というように、誕生してから飽和の極限まで成長発展したのち、崩壊して元の状態に還元するという、短期の循環サイクルをたどる。

宇宙におけるこれらの長期や短期の循環サイクルは、永遠につづくが、これらはすべてアマ始元量の極限循環性によるのである。上古代のカタカムナ人は、現象世界における万物万象の特徴はすべて、アマ始元量のさまざまな性質が相似象で現われたものと捉えていたのである。凄い直観力といえる。

＜引用終わり＞
********************************************************************</blockquote>

正直、詳細部分はわからない箇所もありますが、上記内容を一旦事実と考えた場合、旧石器時代のカタカムナ人（＝日本人）が、天然には「球」の相似象があるという認識を見出し、素粒子まで捉えていることに驚きを隠せません :shock: 

と同時に、別の疑問も湧いてきます。それは・・・
<span style="color:#6666ff;"><strong>「なぜ、古代日本人は、このような思考ができたのか :m052: 」</strong></span>ということです。

現代人では到底発想もできない思考法を古代人ができたのだとしたら、それは思考に通ずる<span style="color:#ff3300;"><strong>　<span style="font-size:130%;">『物事の捉え方』</span>　</strong></span>が現代人と古代人とでは大きく異なることを意味します :roll: 

そこで、<span style="color:#ff3300;"><span style="font-size:130%;"><strong>人間の思考能力</strong></span></span>について切り込んでいる本があったのでみなさんに紹介します :m057: 

民俗学者の折口信夫（おりくちしのぶ）氏は、自身の研究の中で、人間の思考能力は<span style="color:#ff3300;"><span style="font-size:130%;"><strong>、「別化性能」</strong></span></span>と<span style="color:#ff3300;"><strong><span style="font-size:130%;">「類化性能」</span></strong></span>のふたつに分けて考えることができると述べています :m008: 

<img alt="%E6%9C%AC.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E6%9C%AC.jpg" width="230" height="372" />

以下、文化人類学者の中沢新一氏が折口信夫について書いた書籍『古代から来た未来人　折口信夫』から引用します :m281: 

<blockquote>********************************************************************

折口信夫は人間の思考能力を、「別化性能」と「類化性能」のふたつに分けて考えている。

<span style="color:#ff3300;"><strong>ものごとの違いを見抜く能力が「別化性能」であり、一見するとまるで違っているように見えるもののあいだに類似性や共通性を発見するのが「類化性能」</strong></span>であり、折口自身は自分は「類化性能」がとても発達していると語っていた。

この言い方をとおして、彼は「古代人」の思考の特徴をしめそうとしていた。近代人は「別化性能」を異常に発達させた。

そしてその傾向はすでに、奈良朝からはじまっていた。

ところが、「古代人」たちの精神生活は、「類化性能」を存分に生かしながらかたちづくられていた。

「類化性能」とは、いまの言い方をすれば「アナロジー（類似）」のことであり、詩のことばなどが活用する「比喩」の能力が、それにあたる。

ひとつのものごとを別のものと重ね合わすことによって、意味を発生させるやりかたである。この能力が発揮されると、音や形や意味やイメージのあいだにある「類似＝どこか似ている」という感覚をもとにして、ふつうなら離れたところに分離されてあるようなものごと同士が、ひとつに結びあわされて、新しいイメージをつくりだしていくようになる。

このやり方で森羅万象のできごとを見直していくと、月と女性は「似ている」ということになり（どちらも周期的に満ちたり欠けたりする）、蛇と結びつけられ（昔の人は、蛇が脱皮を繰り返すことによって、死と再生を繰り返し生きている、と考えた）、湿気や水と結びついていくようになる。

そこから、「水辺に立つ神聖な女性」という存在が考えられるようになる。

ところが、奈良朝の知識人のような「近代人」には、その思考法がよく理解できていないから、「みずはのめ」は不気味な妖怪になってしまう。

折口信夫の考える「古代人」はこのようなアナロジーの思考法を駆使して、森羅万象を「象徴の森」で覆いつくそうとしたのである。現代の考古学は、そういう「比喩」が獲得されることによって、わたしたちホモサピエンスが出現したと考えている。

つまり、<span style="color:#ff3300;"><strong>折口の言う「類化性能」こそが、現在の人類の心を生みだしたものであり、その「類化性能」によって世界をとらえる能力を発達させていたのが「古代人」であったとすると、折口信夫の「古代」という概念は、じつはおそろしいほどに深い時間の深度をもっていることがわかる。</strong></span>
その概念は、奈良朝を突き抜け、古墳時代を突き抜け、弥生時代を突き抜け、縄文時代にまで達する、大きな射程をもっている。

それどころか、旧石器時代に現在の人類の心が生まれた、その最初の場面にまで触れようとしている。

折口信夫がはじめようとした学問は、その意味では、未来に属する学問なのだと言える。
＜引用終わり＞
********************************************************************</blockquote>

折口氏が記述している「類化性能」と「別化性能」の思考能力の違いは、改めて、私たちが追求している現代人と古代人の思考方法の違いを端的に示していると思います :m034: 

折口氏が展開している類化性能とい言葉は、まさに<span style="color:#ff3300;"><span style="font-size:130%;"><strong>同化</strong></span></span>という概念で捉えることがでそうです。極限人類が自然現象の背後に精霊を措定できたのも、身の回りのあらゆる現象から共通項を見出した結果といえそうです。

一方、別化性能は、同化に対して異化という概念で捉えるとスッキリします :D 

※参考投稿
異化という近代科学の思考法( <a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=171141">リンク</a>) 

現代人は、教育や近代思想によって知らず知らずのうち、ものごとの違いを見抜く能力（別化性能）には長けています。しかし別化性能が人類本来の思考法ではないのだとしたら、現在起こっているあらゆる問題に答えをだせないのも必然です :m050: 

なんであれ、答えをだそうとしたら、対象への徹底した同化が不可欠になります :tikara: 
ここは真摯に古代人の思考法に学ぶ必要がありそうですね :m030: 

今後シリーズを通してさらに追求していきたいと思います :m042: ]]>
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   <title>シリーズ「日本と中国は次代で共働できるか？」１４～中国の軍事力は脅威か？その２</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/04/001386.html" />
   <id>tag:blog.kodai-bunmei.net,2012:/blog//1.1386</id>
   
   <published>2012-04-03T13:36:39Z</published>
   <updated>2012-04-10T14:11:25Z</updated>
   
   <summary>シリーズ「日本と中国は次代で共同できるか？」１４～中国の軍事力は脅威か？その１ の続きです。 ■中国の軍事力とは 厳密にいえば、中国の武装力量は、「中国人民解放軍」、「中国人民武装警察部隊」、「民兵・予備役」の３つで構成される。中核はいうまでもなく人民解放軍であり、普通中国の軍事力といえば人民解放軍を指す。 解放軍の総兵力は約220万人。国防予算は約7兆円。リーマンショックの2010年の9.8％を例外として、1989年以後、ほぼ一貫して前年比１０％以上の増加率を維持し、急速に近代化し伸張してきた。 武装警察部隊は約66万人、主力の基幹民兵が約800万人、予備役が51万人である。 1989年天安門事件では人民解放軍の陸軍の正規部隊が動員され、民主活動家の鎮圧に当たり、人民を多数殺傷した。人民の軍隊が人民を殺したということで、国内的にも国際的にも非難が高まり、中国首脳部はその反発が人民解放軍全体に及ぶことを恐れ、国内の暴動や反乱への対処は人民武装警察に、その一切を委ねることを決め武装警察を増強した。しかし、この武装警察も組織的には人民解放軍の一部である。 ...</summary>
   <author>
      <name>tiwawa</name>
      
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         <category term="Ⅴ中国文明" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/">
      <![CDATA[シリーズ「日本と中国は次代で共同できるか？」１４～中国の軍事力は脅威か？その１
の続きです。
<img alt="%E8%BB%8D%E9%9A%8A%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%AD%A9%E3%81%8F.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E8%BB%8D%E9%9A%8A%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%AD%A9%E3%81%8F.jpg" width="127" height="89" />

<span style="color:#800080;"><span style="font-size:130%;">■中国の軍事力とは</span></span>
厳密にいえば、中国の武装力量は、「<span style="color:#ff3300;">中国人民解放軍」、「中国人民武装警察部隊」、「民兵・予備役」</span>の３つで構成される。中核はいうまでもなく人民解放軍であり、普通中国の軍事力といえば人民解放軍を指す。

解放軍の総兵力は約220万人。国防予算は約7兆円。リーマンショックの2010年の9.8％を例外として、1989年以後、ほぼ一貫して<span style="color:#ff3300;">前年比１０％以上の増加率</span>を維持し、急速に近代化し伸張してきた。

武装警察部隊は約66万人、主力の基幹民兵が約800万人、予備役が51万人である。

1989年天安門事件では人民解放軍の陸軍の正規部隊が動員され、民主活動家の鎮圧に当たり、人民を多数殺傷した。人民の軍隊が人民を殺したということで、国内的にも国際的にも非難が高まり、中国首脳部はその反発が人民解放軍全体に及ぶことを恐れ、国内の暴動や反乱への対処は人民武装警察に、その一切を委ねることを決め武装警察を増強した。しかし、この武装警察も組織的には人民解放軍の一部である。
]]>
      <![CDATA[<span style="color:#000080;"><span style="font-size:130%;"><span style="font-size:Font;">●陸軍</span></span></span>
<img alt="%E9%99%B8%E8%BB%8D%E6%88%A6%E8%BB%8A%E3%81%A7.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E9%99%B8%E8%BB%8D%E6%88%A6%E8%BB%8A%E3%81%A7.jpg" width="127" height="80" />
人民解放軍の中で最大の組織は依然として陸軍である。
兵力約160万人。戦車約7550両で、<span style="color:#ff3300;">７つの軍区</span>に分かれている。

中国陸軍は1999年ごろ新しい「戦争遂行ドクトリン（外交原則）」を打ち出し、従来の「人民戦争」と「積極防衛」という概念を強調した。戦略には従来の大量の兵役投入を基礎とする「人民戦争」も決して排除していないが、新しく<span style="color:#ff3300;">「暗殺者の鎚矛」</span>や<span style="color:#ff3300;">「作戦の情報化」「戦力の機甲化」</span>も強調されるようになった。
「暗殺の鎚矛」とは<span style="color:#ff3300;">「非対象戦争」</span>とも呼ばれ、正面からの戦闘では勝ち目の無い相手に対し、側面や後方からの奇襲攻撃などの手段で勝つこと目指す作戦を指し、ハッカー攻撃や人工衛星破壊兵器などの開発も一体的に行うことをいう。

<span style="color:#000080;"><span style="font-size:130%;"><span style="font-size:Font;">●空軍</span></span></span>
<img alt="%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%8B%EF%BC%9F.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%8B%EF%BC%9F.jpg" width="130" height="102" />
空軍は作戦機約1950機。そのうち第四世代と呼ばれる最新型の戦闘機が600機以上ある。
2011年には、<span style="color:#ff3300;">第五世代</span>の<span style="color:#ff3300;">ステルス戦闘機</span>Ｊ－２０が初飛行に成功したと報道されたが、その真偽は定かではない。

<span style="color:#000080;"><span style="font-size:130%;"><span style="font-size:Font;">●海軍</span></span></span>
<img alt="%E7%A9%BA%E6%AF%8D%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%81%8B.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E7%A9%BA%E6%AF%8D%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%81%8B.jpg" width="133" height="86" />
海軍は総兵力約26万人。艦艇約950隻で、うち駆逐艦・フリーゲート艦約７５隻、潜水艦約60隻。
1998年ウクライナから購入した6万7千トンの<span style="color:#ff3300;">空母ワイヤリーグ</span>を大改造したほか、空母の自前での建造にも着手して、今後10年間に１隻から６隻の配備を意図している。
海上作戦用の攻撃機やヘリも90年代には存在しなかったが、今は合計180機を数える。

<span style="color:#000080;"><span style="font-size:130%;"><span style="font-size:Font;">●ミサイル部隊</span></span></span>
<img alt="%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%81%8B.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%81%8B.jpg" width="118" height="124" />
第二砲兵約10万人を有す。
準中距離弾道ミサイルは射程1750ｋｍ。保有総数は約90基。日本全土、東南アジアとインドの大部分、中央アジアとロシア東部に所在する標的に撃ち込む能力を持っている。
誘導機能を発揮する巡航ミサイルは10年前には全く無かったが、今は約500基有する。
台湾に軍事を起こすことを想定し、太平洋に存在する米軍基地をたたくことを目的に急激に整備された。現在ではアメリカをもしのぎ、<span style="color:#ff3300;">世界一のミサイル保有国</span>となっている。

<span style="color:#000080;"><span style="font-size:130%;"><span style="font-size:Font;">●核兵器</span></span></span>
アメリカ国防総省の発表では、中国の核弾道ミサイルの<span style="color:#ff3300;">保有台数は約400発</span>と推定している。アメリカの保有が5100発だからそれに比べると少ないが、ロサンゼルスも射程に納まっているという。

<span style="color:#800080;"><span style="font-size:130%;"><span style="font-size:Font;">■中国の軍拡の意図は？</span></span></span>
中国の海軍、空軍、そして宇宙軍のパワーの増強は、すべて自国を<span style="color:#ff3300;">アジア地域で支配的な軍事大国</span>にするという中国共産党の目標に沿っている。中国は究極的には<span style="color:#ff3300;">アメリカよりも優位</span>に立つ軍事パワーになることを目指している。
アジア諸国をまず手始めに、やがては全世界に対し、主導権、支配権を発揮することが歴史的な大目標だといえる。アメリカが主導してきた<span style="color:#ff3300;">国際秩序を根底から変革</span>したいと中国指導部は考えている。

<span style="color:#800080;"><span style="font-size:130%;"><span style="font-size:Font;">■人民解放軍の実力は？</span></span></span>
ここ10年、急速に軍拡を進めてきた人民解放軍であるが、その実力の程はどの程度のものなのか？
古来中国は巧みな外交力により、<span style="color:#ff3300;">対外戦争を回避</span>し続けてきた。さらに、近代化戦争の体験も一度もない。今でこそ一般の国民も自動車を手に入れることができるようになってきたが、中国がＷＴＯに加盟する5年ほど前までは庶民は自動車の運転さえしたことがなく、そういった人がいきなり軍隊に入っても、近代化された高度な兵器を操れるようになるためには、基礎から相当な訓練をつまねばならない。

兵器も数はそろっているが、元々は工業の遅れから兵器そのものも中古のかき集めである。空母ワイヤリーグも購入時には６ノットしか速度が出ず、到底実践で使い物になる代物ではなかった。

こうした事実を鑑みると、人口が多い分、確かに戦力は強大であるが、その実力に対しては疑問をもたざるをえない。
アメリカの人民解放軍研究員は、仮に中国との海空軍の戦争が現実のものとなったとしても、人民解放軍はアメリカ軍の前に赤子をひねるように壊滅されるであろうと分析している。

それほど<span style="color:#ff3300;">人民解放軍は弱いのである</span>。

日本の軍事力を必要以上に警戒する理由もそこにある。

<span style="color:#800080;"><span style="font-size:130%;"><span style="font-size:Font;">■破局という世界的混乱時、人民解放軍はどう出るか？</span></span></span>
現時点では世界が経済破局という混乱期に入ったとしても、人民解放軍は侵略に打って出ることは、中国の軍事力の脆弱さをさらけ出すことにしかならず、逆に侵略を受ける恐れすらあることから、まず、ありえないであろう。

それどころか中国は元々多民族国家であり、国民自身にアキレスケンを抱えている国家である。
強力な家父長制度により女性の地位が低く、一人っ子政策によりいびつな人口構成となっており、4人に一人の男性が結婚できずにあふれる計算となる。
こうした安定と充足基盤を持たないあぶれものが相当数の人口比をしめるようになると、いかに中国共産党の力が強大といえどの、国内の混乱を封じ込めるのは困難であると予測される。

そうなると、国内の民族運動が活発化し、自治区ごとの独立運動が発生することも予想できる。

そこで、<span style="color:#ff3300;">人民解放軍がどう動くかが最大の焦点</span>となる。

この軍隊は冒頭でも述べた通り、元々の出自が国防軍ではなく革命軍であり、バンの絆を紐帯とした地方軍閥の色彩も濃厚に残していることから、地方の独立の動きが活発化し、共産党の勢力が極端に低下すれば、中央の意向は行き届かなくなり、<span style="color:#ff3300;">地方の防衛軍</span>として機能していくこともあるかもしれない。

<span style="color:#800080;"><span style="font-size:130%;"><span style="font-size:Font;">■まとめ</span></span></span>
①中国は抑止力としての軍事力は保有しているが、過去の歴史を振り返ってみても、対外戦争を行ったことはなく、侵略戦争を自ら起こす可能性は極めて低いと考えられる。

②近代化戦争の経験がなく、兵力の割りには戦闘力は未熟であり、そう強いとは思えない。

③突出した軍事力を持つアメリカの存在があるため、現在、到底勝ち目のない軍事力増強をあえて行っている国は中国以外には見当たらないが、経済破局によりアメリカという国家が崩壊したら、中国にとって日本の軍事力は脅威となり、核の有無を度外視すれば、日本と中国は対等な力のバランスを保つことになる。

④福島第一原発事故の影響も少なからずあるであろうが、核を拒絶する世界共認は相当高まっており、今後核廃絶の動きが加速する可能性に少し期待する。

⑤アメリカを除けば、あえて侵略戦争に打ってでる国は世界共認が許さないだろう。そうなれば、軍事パワーに頼らない新しい世界秩序が誕生し、国間の共同関係が形成される可能性が広がるかもしれない。
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   <title>シリーズ「日本と中国は次代で共働できるか？」１４～中国の軍事力は脅威か？その１</title>
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   <published>2012-04-03T13:28:54Z</published>
   <updated>2012-04-10T14:11:04Z</updated>
   
   <summary>こんにちわわわちです。 中国といえば、戦争を繰り返してきた民族のイメージが強いですが、歴史を紐解いていくと、実は外国との戦争の経験はほとんどなく、宋代に築いた軍事増強、特に海軍の強化に見られる抑止力に力を注いだ時代こそあれ、外国からの脅威をほとんど外交でしのぎ、事実上対外戦争を避けることを主眼に国家を維持してきた代表的な国ではないかと考えられます。 中国で費やされる軍事力のほとんどは内戦のためのものであり、農民反乱の鎮圧に費やされてきました。 大国として他国から恐れられていた内実は、アヘン戦争の屈辱的な敗戦で世界的に明らかとなり、日本との、日清戦争や満州事変での敗戦において、中国恐るるに足らずという諸外国の印象を決定的にしました。 中華民国を打倒した中国共産党による現在の中華人民共和国も、冷戦の代理戦争である朝鮮戦争とベトナム戦争に局地的に参戦したのみで、中国軍の実力を評価するほどの成果も出していないのが実情です。 ところが、現在の中国は目覚しい経済発展に歩調をあわせるように軍事増強を進め、アメリカが展開力をアジアに切り替えるほどに世界的に脅威な存在になってきました。 いったい中国で今何が起こっているのか、今回は中国人民解放軍とはいったいどんな軍隊なのか？を探り、来たる経済破局時に、この軍がどう行動するかを推察したいと思います。 中国おそろしとお思った方↓↓ぽちっと！ ...</summary>
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      <name>tiwawa</name>
      
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         <category term="Ⅴ中国文明" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/">
      <![CDATA[こんにちわ<span style="color:#FFAE35;">わわち</span>です。
<img alt="%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E3%81%AE%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E3%83%91%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%89.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E3%81%AE%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E3%83%91%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%89.jpg" width="148" height="99" />

中国といえば、戦争を繰り返してきた民族のイメージが強いですが、歴史を紐解いていくと、実は<span style="color:#ff3300;">外国との戦争の経験はほとんどなく</span>、宋代に築いた軍事増強、特に海軍の強化に見られる抑止力に力を注いだ時代こそあれ、外国からの脅威をほとんど外交でしのぎ、事実上対外戦争を避けることを主眼に国家を維持してきた代表的な国ではないかと考えられます。
中国で費やされる軍事力のほとんどは<span style="color:#ff3300;">内戦</span>のためのものであり、農民反乱の鎮圧に費やされてきました。
大国として他国から恐れられていた内実は、アヘン戦争の屈辱的な敗戦で世界的に明らかとなり、日本との、日清戦争や満州事変での敗戦において、中国恐るるに足らずという諸外国の印象を決定的にしました。

中華民国を打倒した中国共産党による現在の中華人民共和国も、冷戦の代理戦争である朝鮮戦争とベトナム戦争に局地的に参戦したのみで、中国軍の実力を評価するほどの成果も出していないのが実情です。

ところが、現在の中国は目覚しい経済発展に歩調をあわせるように<span style="color:#ff3300;">軍事増強</span>を進め、アメリカが展開力をアジアに切り替えるほどに世界的に脅威な存在になってきました。

いったい中国で今何が起こっているのか、今回は<span style="color:#ff3300;">中国人民解放軍</span>とはいったいどんな軍隊なのか？を探り、来たる経済破局時に、この軍がどう行動するかを推察したいと思います。

中国おそろしとお思った方↓↓ぽちっと！
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      <![CDATA[<span style="color:#800080;"><span style="font-size:130%;">■人民解放軍は何とも奇妙な軍隊である。</span></span>
まず第一に、人民解放軍は、中華人民共和国という国家が自分を防衛するために作り出した軍隊ではない。既に出来上がっている中華民国という国の中で、圧倒的に優勢な国民党に反抗した共産党という少数派が、生き残るために武器をとって必死に戦った。その戦いの中で自然と育ってきた軍隊だ。すなわち、最初から<span style="color:#ff3300;">内戦用</span>に作られた<span style="color:#ff3300;">共産党の軍隊</span>なのである。
ところが、いざ中華人民共和国が成立してみると、昨日までの革命軍は一転して、今日からは国防軍の役割を担わなくてはならない。人間だれしも、自分の人生を一夜にして取り替えるわけにはいかないもので、革命軍と国防軍という二重の性格の板ばさみにあって深刻に悩んでいるところである。

第二に、その人脈である。中国のあらゆる組織はみんなそうだが、上は人民解放軍総指令から、下は指揮員の班長に至るまで、単なる上官と部下という関係でなく、伝統的な「師弟」の感覚で<span style="color:#ff3300;">縦の人間関係</span>が出来上がっている。バンの関係は軍隊にも例外なく存在しているのである。ゆえに、人事面でどんなに動かそうとしても同じ軍区の内部が精一杯で、見ず知らずの司令員の握っているよその軍区に転出することなど思いもよらない。だから、勢い何時までも同じポストに居ついてしまって、<span style="color:#ff3300;">人事が円滑に行かない</span>ことになる。

第三に、人民解放軍が土着してしまって<span style="color:#ff3300;">地方軍化</span>する傾向にあることである。
事実、各軍区の司令員は中華人民共和国成立以来、文化大革命まで20年の間ほとんど交代していない。そして、彼らの軍区の内部はすっかり直系の部下で固めてしまっているのだから、自然と現地の社会と結びつきが出来上がって、地方軍閥に似通ってくる。そこへ、文化大革命で党組織、行政組織が破壊された。勢いその再建には軍が中心にならざるをえず、文革後の中国では北京政府の統制力が弱まって、<span style="color:#ff3300;">地方の軍区の独立性</span>が強まっていった。

<span style="color:#800080;"><span style="font-size:130%;"><span style="font-size:Font;">■人民解放軍の転機①～朝鮮戦争</span></span></span>
<img alt="%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%BB%8D%E4%BA%BA%E6%AD%A9%E3%81%8F.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%BB%8D%E4%BA%BA%E6%AD%A9%E3%81%8F.jpg" width="108" height="123" />
革命軍か、国防軍か、という選択のことを、中国共産党の言葉では<span style="color:#ff3300;">「紅」</span>か<span style="color:#ff3300;">「専」</span>か、と表現する。
「紅」とは、人民開放軍の<span style="color:#ff3300;">最高の使命は革命</span>だとする立場のことで、「紅」とは<span style="color:#ff3300;">政治優先</span>の考え方である。
対して「専」というのは、一国社会主義国家の建設のために必要な平和を保つために、人民解放軍は近代装備をし、近代戦に備えて外国からの干渉がないようにするのが最高の任務だとする主張で、つまり<span style="color:#ff3300;">軍事優先</span>のことである。
従って、紅派は好戦的で対外戦争を恐れないと公言するが、専派はかえって戦争防止に積極的で戦争はどんなことをしても避けなければならないと主張する。

この選択に直面したのが建国後間もない1950年、<span style="color:#ff3300;">朝鮮戦争での教訓</span>だった。
朝鮮で初めて経験した近代戦の恐ろしさは、人民解放軍の幹部連中の心に、いつまでも消えない印象を植え付けた。国連軍の圧倒的な火力、猛烈な爆撃、戦車やヘリコプター、段違いの機動力の前に人民解放軍の志願兵はただ肉弾を投げ出すしかすべがなかった。幸い朝鮮半島は幅が狭くて戦線が短く、山岳地帯が大部分だったから、人民解放軍の伝統の坑道戦法で縦横無尽にトンネルを掘って、何とか国連軍を食い止めることには成功したものの、まさに<span style="color:#ff3300;">天文学的な人命の損失</span>を受けねばならなかった。

この教訓から専派が優勢となり、ソ連に歩み寄り、武器の購入を進め、近代化の道を歩むことになる。

余談だが、大躍進政策の失敗で失脚した毛沢東が復権をねらって起こしたクーデターが文化大革命であり、人民解放軍も毛沢東主導のもと専派から紅派へと転換した。人民解放軍の近代化の遅れはこの文革の影響が大きいと思われる。

<span style="color:#800080;"><span style="font-size:130%;"><span style="font-size:Font;">■人民解放軍の転機②～湾岸戦争、イラク戦争</span></span></span>
<img alt="%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%BE%E3%81%A1%E7%87%83%E3%81%88%E3%82%8B.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%BE%E3%81%A1%E7%87%83%E3%81%88%E3%82%8B.jpg" width="137" height="91" />
湾岸戦争では米国を主体とする多国籍軍はクェートを占拠していたイラク軍の大部隊を文字通り、あっという間に撃退した。イラク戦争ではイラク国内に布陣したサダム･フセイン政権軍の精強部隊を、米軍は空と陸からの攻撃で、これまたスピーディーに撃破してしまった。中国はこの<span style="color:#ff3300;">２つの大作戦</span>をそれこそ固唾を呑んで見つめていたのである。
そして、<span style="color:#ff3300;">宇宙利用の決定的重要性</span>を認識した。
中国が驚嘆したのは、アメリカ側の宇宙を利用しての軍事目的の情報収集、伝達、利用だった。人工衛星により、誘導ミサイルの精度を高め、砂嵐の中でも地上部隊の正しい方向への進撃を可能にし、人工衛星での偵察は大地の磁場を測定してミサイルの飛行を正確にし、気象情報も軍事には決定的に重要となることを知った。

その結果、それまでの「近代高度技術条件下での局地戦争」という戦略用語を<span style="color:#ff3300;">「情報化条件下での局地戦争」</span>へと変え、自国が遂行するかもしれない戦争の概念を覆した。
2007年に実行した衛生破壊兵器（ＡＳＡＴ）の実験はそれを傍証するものである。

<span style="color:#800080;"><span style="font-size:130%;"><span style="font-size:Font;">■人民解放軍の仮想敵国は？</span></span></span>
いうまでもなく<span style="color:#ff3300;">アメリカ</span>である。
中国の台頭が進むにつれ、中国の軍事プレゼンス（前方展開戦力）の増大が目立ち、日米との間で緊張する場面が増えてきた。2010年、尖閣諸島沖で起きた日本の巡視船と中国の漁船の衝突事件は、諸外国が<span style="color:#ff3300;">中国の軍事力の増大に懸念</span>を強めてきた国際環境のもとで発生した。日中関係は悪化し、交流中止だけでなく、中国がレアアース禁輸を行うまでにいたった。しかも、この年には相前後して、中国海軍艦艇が宮古水道を通過したほか、黄海、東シナ海、南シナ海などで中国や日米韓それぞれが軍事演習を行い、<span style="color:#ff3300;">緊張</span>が高まった。

これらは何を意味するものか？

中国共産党首脳は<span style="color:#ff3300;">台湾の併合を国家の「核心的利益」</span>と呼ぶほど重視してきた。台湾側が独立を宣言したり、外国勢力が介入した場合には軍事力で台湾を制圧することを公言している。
中国がいざ軍事力の行使という道を選んだとき、米軍介入という可能性に対して中国にとっての最善の展開は敏速に軍事力で台湾を攻略し、あるいは台湾を服従させ、その間に米軍の介入を許さないままでおくということである。
人民解放軍は米国の攻撃の出鼻をくじき、米軍の軍事力を機能させず、もしくは遅延させるための戦略としてアメリカの人工衛星を破壊し、サイバー攻撃により中枢部を破壊することをもくろんでいる。事実、人民解放軍は2007年、2008年の2回に渡って、アメリカ側の地球観測衛星ランドサット7号のコンピューターシステムを標的とするサイバー攻撃を仕掛けてきた<span style="color:#ff3300;">。「サイバー攻撃に関する限り米中戦争はもう始まりました。」</span>とアメリカの中国軍事力研究員が明言している。

つづく
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   <title>シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」～「カタカムナ」の世界観（１）～</title>
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   <published>2012-04-03T03:00:00Z</published>
   <updated>2012-04-03T03:17:42Z</updated>
   
   <summary>　 ★カタカムナ復元　　　　　　★宇宙の構造 楢崎皐月氏他の提唱する日本の上古代人の潜象科学とされる『カタカムナ』の世界観について、もう少し掘り下げてみたいと思います。史実、根拠の乏しいカタカムナでありますが、我々の生命の根源にある直感力は、現象世界の無用な観念で毒され、それを生み出す潜象世界がみえなくなっていることは否定できません。激動の時代に、自然の摂理から逸脱した我々の観念偏重思考を見直す必要があるのだろうと思います。 　前回は、「五感を研ぎ澄まし、本能～共認～観念を直結させる事で物事を捉え、潜在思念に導かれながら思考し判断してきた」とされる本源的な思考に関連するであろう、楢崎氏の提言を紹介しました。 今回は、その中心概念である『相似象』を見ていきたいと思います。 :m281:  :m282:  :m283:  　 いつも読んでいただき、ありがとうございます。 :wink:  :wink:  :wink:    ...</summary>
   <author>
      <name>2310</name>
      
   </author>
         <category term="Ⅰ文明前夜・石器時代・巨石文明" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/">
      <![CDATA[<img alt="0%2Ckaminorito100%2Cpng.jpeg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/0%2Ckaminorito100%2Cpng.jpeg" width="128" height="100" />　<img alt="0ff32cfc-thumbnail2.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/0ff32cfc-thumbnail2.jpg" width="130" height="100" />
★カタカムナ復元　　　　　　★宇宙の構造
<span style="color:#ff3300;">楢崎皐月氏</span>他の提唱する<span style="color:#6666ff;">日本の上古代人の潜象科学とされる</span><span style="color:#ff3300;">『カタカムナ』の世界観</span>について、もう少し掘り下げてみたいと思います。史実、根拠の乏しいカタカムナでありますが、我々の生命の根源にある直感力は、現象世界の無用な観念で毒され、それを生み出す潜象世界がみえなくなっていることは否定できません。激動の時代に、自然の摂理から逸脱した我々の観念偏重思考を見直す必要があるのだろうと思います。
　前回は、<span style="color:#ff3300;">「五感を研ぎ澄まし、本能～共認～観念を直結させる事で物事を捉え、潜在思念に導かれながら思考し判断してきた」</span>とされる本源的な思考に関連するであろう、楢崎氏の提言を紹介しました。
今回は、その中心概念である<span style="color:#ff3300;"><strong>『相似象』</strong></span>を見ていきたいと思います。 :m281:  :m282:  :m283: 
　
いつも読んでいただき、ありがとうございます。 :wink:  :wink:  :wink: 

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★カタカムナ図象文字
 :m281: まず、下記のるいネットの記事をご紹介します。「万象は共通構造（相似象）を示す」という記事です。
過去の人類が、超感覚的知覚で捉えたとされるこの相似象とは、<span style="color:#ff3300;">【①互いに似通ってくる性質がある】</span>という意味と<span style="color:#ff3300;">【②いろいろな現象のパターンが共通である】</span>という意味の二種類のようです。

<span style="color:#ff3300;">◆ </span>　<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=255819" target="_blank"><span style="color:#6666ff;">【楢崎皐月氏のカタカムナ説（１）　宇宙から素粒子に至るまで、万象は共通構造(相似象)を示す 冨田彰男】</span></a>より引用します。
*************************************引用開始
<blockquote> 日本の上古代人の潜象科学＝カタカムナを研究した楢崎皐月氏は、『日本の上古代文化』(アシヤ文化研究会編、正しい教育を守る会発行)の中で、次のように述べています。

＞現代人は、上古代以降の後代人と同様に、直感性能が劣化的に退化し、思考性能が上古代人より、優進的に進化したのは事実である。そして直感性能の劣化に基き、自然理(自然法則)の基礎であり元である、時空の本質本性に対する理性判断が、鈍化したことも事実である。そのために自然理の追求が、真理に結び着くことなく、甚だしく迂遠の道をたどったことを認識していない。

この指摘は正しいと思います。
そして、そこには現代宇宙論・素粒子論の閉塞を突破する鍵が秘められているように思います。
そこで、楢崎皐月氏の説がどんなものなのかを紹介します。参考になれば幸いです。

<a href="http://yakoto99.web.fc2.com/dion/kikanhoh/new_page_9.htm#1" target="_blank">『フォッサマグナ沿線の温泉めぐり』「カタカムナ文献」</a>からの転載です。
－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－
●第４項　超感覚的知覚を超える〈カタカムナノサトリ〉

このような一般的な考察に加えて、楢崎によるならば、カタカムナ人は、われわれにおいてはすでに退化している高度の直感力をもっていた。これによってカタカムナ人は現象背後の“潜象”の作用を共振的に知覚し、それが彼らを「カタカムナノサトリ」とよばれる、われわれの知らない自然認識へと導いた。(中略)

これはカタカムナ人が、超感覚的知覚に加えて高度の抽象的思惟力をもっていることを意味する。要するに、カタカムナ人においては、後代の人間とは知覚、思惟、意識の回路そのものがまったく異なっていた、と考えてもらってさしつかえない。

楢崎はカタカムナ理解への入り口のひとつとして、「相似象」という言葉を用意している。現代人においては、カタカムナ人のような超感覚によって直接に現象の背後にある潜象と共振する回路は切断されている。だが、そのようなわれわれでも、現象として現われてくる相似性のうちに、その背後の世界の影をほのかに捉えることは可能である。

●第５項　宇宙は相似象・共通のパターンでできていた

楢崎皐月およびその後継者である宇野多美恵は、「カタカムナ文献」を解読したのち、カタカムナ文化を学ぶ「学会」を作り、『相似象』という名前の会誌に研究成果を発表している。なお、『相似象』はこれまでに第１号から第１０号までが刊行されている。

まず、<span style="color:#ff3300;">「相似象」というのは次の二つの意味がある。一つは「互いに似通ってくる性質がある」という意味である。</span>たとえば、朱に交われば赤くなるとか、夫婦の顔がだんだん似てくる、などのように、環境に似通わせる性質があるという意味である。

もう一つは、<span style="color:#ff3300;">「いろいろな現象のパターンが共通である」</span>という意味である。たとえば、原子核の回転構造が、太陽の周りを惑星が回転する太陽系の回転構造に類似しているなどの例が挙げられる。カタカムナ人の天然に対する直観は、カムの無限世界および、宇宙球の巨大なものから、目に見えないアマ始元量の最小素粒子までを観て、そこには共通のパターンすなわち相似象があることを見抜いた。それを記してあるのが「カタカムナ文献」である。

楢崎皐月や宇野多美恵は、カタカムナ人の偉大さは、「天然に相似の象がある」ことを見抜いたことだとして、「カタカムナ文献」を勉強する会の名称に「相似象」という名前を用いた。「相似象」とは、天然宇宙のサトリということになる。
－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－
つまり、宇宙レベルから素粒子レベルまで、万象は相似象という共通構造で貫かれているということです。

（続く）</blockquote>
*************************************引用終了
 :m282: 似ている・共通のパターンがあるという感覚だけではなく、<span style="color:#ff3300;">さらに、宇宙や素粒子などの空間や物質の根源の自転・公転運動によってこの相似象が形作られる【地球の表層に賦存する自然物は、その形態容相が、重深的に互いに相似する】</span>といわれます。この感覚は、このブログでも扱っているとおり、<span style="color:#6666ff;">全ての存在は、外圧に対する適応態として存在する・万物は塗り重ね構造である</span>という概念と同一であり、しごくまっとうなものだと思われます。

<span style="color:#ff3300;">◆</span>　<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=255821" target="_blank"><span style="color:#6666ff;">【楢崎皐月氏のカタカムナ説（２）　宇宙や素粒子の自転・公転運動によって相似象ができる 冨田彰男</span></a>より引用します。
*************************************引用開始
<blockquote>楢崎皐月氏の著書『静電三法』(シーエムシー技術開発株式会社発行)では、相似象について次のように書かれています。
『楢崎研究所』<a href="http://www.narasaki-inst.com/soujishou.htm" target="_blank">「相似象学の概要」</a>から転載します。
－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－
地球の表層に賦存する自然物は、その形態容相が、重深的に互いに相似する。

地表面における山の姿や植物生育の様子、あるいは岩石の風化される形や海水の陸地浸食の有様などは、そこになんらの規則性とか方向性とかが客観されないで、不規則に種々雑多の容相を示しているように思われていた。事実、相似象は気が付き難く、観測され難い現象である。

しかし、実際は注意深く観察すれば、雲の形と山容と相似し、山容と植物の生育の姿が相似して客観される地点がある。しかも、その地点は地表上の特定の場所に限定されるのではなく、地表面の任意の地点において相似の現象を観ることができる。

位置勢力は磁気力・電気力の場を構成し、物体相互の物性に関連し、動植物の生理にも関連する。

静電三法では、宇宙対向の静電気に並び相似象学が植物波農法、物質変性法、人体波健康法の基礎として重要である。相似象学は、科学技術は勿論のこと、宗教、哲学、教育、芸術など広い分野にわたり、根元的な基礎理論として応用できる。
－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－
これによると、宇宙レベルから素粒子レベルまで、万象が相似象構造を示す理由は、天体も素粒子も自転しつつ公転していることにあるようです。

（続く）</blockquote>
*************************************引用終了
<img alt="%E6%A5%A2%E5%B4%8E%E7%9A%90%E6%9C%88%EF%BC%88%E3%81%AA%E3%82%89%E3%81%96%E3%81%8D%E3%83%BB%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%92%E3%81%A4%EF%BC%89.jpg" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/img2011/%E6%A5%A2%E5%B4%8E%E7%9A%90%E6%9C%88%EF%BC%88%E3%81%AA%E3%82%89%E3%81%96%E3%81%8D%E3%83%BB%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%92%E3%81%A4%EF%BC%89.jpg" width="78" height="100" />
楢崎皐月氏

 :m283: この相似象という見方は、<span style="color:#ff3300;">物事の全てに共通事項を見出すという同化思考</span>で、古来、極限状況の人類が生き延びるために、畏敬の念をこめて、自然に対して同化を試みて生み出した精霊信仰（アニミズム）そのものです。<span style="color:#ff3300;">私たちが可能性を見ている、縄文人の受け入れ体質は、対象に対して同一の感覚を抱き、肯定的に受け入れること</span>であり、<span style="color:#ff3300;">相似象の発想と通じる</span>ところがあると思われます。
　このような<span style="color:#ff3300;">現象世界と潜象世界をつなぐ思考は、現代人の差異化・差別化思考や数値概念では見えないもの</span>なのだと思います。時代が進むにつれて、人類どうしの同類圧力が高まり緊張状態に至ると、自分にとって都合のよい価値観や自部族の正当化意識（守護神信仰など）が混入し、何時しか、このような本源的な関係性が忘れ去れたのだろうと思います。
　<span style="color:#009933;">現在、現象世界が混迷する中、カタカムナ文献から読み解けるものは、自然の摂理に従い、言葉や文字に頼らない一定の秩序を与える同化思考と共感感覚だと思います。それは、潜在思考の原点とも言えそうです。</span>

 :m284: <span style="color:#ff3300;">◆</span>次号では、具体的な相似象の事例と法則を見て行くことにしましょう。ご期待下さい。]]>
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   <title>「日本人の起源」を識る～５．日本に南方の風を吹き込んだ海洋の民「Ｃ１」</title>
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   <published>2012-03-27T13:05:07Z</published>
   <updated>2012-04-07T08:04:06Z</updated>
   
   <summary>こんにちわ。 「日本人の起源を識る」のシリーズも後半に入ってきました。 これまで過去４回の記事で列島を取り巻く縄文時代前後の気候・地形状況、最初に列島に渡来した「Ｃ３」、縄文時代、縄文人を形成したと推測される「Ｄ２」を見てきました。また前回はそれらを受けて日本人の基層になっている言語という観点で日本人の起源を俯瞰してきました。前回の記事で日本語＝母音言語という観点からD2とＣ１の混血、あるいは文化的交流が日本人の原点にあるのではないかとの指摘をしています。 今回は前回の記事で提起された日本人のもう一つの起源、「Ｃ１」に注目していきたいと思います。 日本で南方から渡来してきたのはY染色体にC1遺伝子を持つ民です。以降「Ｃ１」と略します。この民族の特徴はＤ２同様に世界的にも日本にしか存在しない亜種です。 まずはＣ１の日本での分布構成を見てみましょう。 　　　沖縄　九州　　徳島　静岡　東京　青森　アイヌ C1　　４％　４％　１０％　５％　１％　８％　０％ 現在では非常に少数しかいないＣ１ですが、列島各地に一定程度分布しているという見方もできます。日本海側のデータがないので何とも言えませんが、概ね太平洋側西日本各地に分布しています。このＣ１は後に紹介する日本でＤ２に次いで多いO2ｂやO3と異なり、後から日本列島に入ってきた後発隊ではありません。 かなり初期にそれも縄文人の形成時期にＤ２と同様に日本列島に辿り着き、縄文人を形成している集団である可能性がかなり高いのです。その意味でC1の追求は日本人の起源を考える上で重要な内容を含んでいると思われます。 それではいつものポチッを押して読み進んでください。         ...</summary>
   <author>
      <name>tano</name>
      
   </author>
         <category term="Ⅱ縄文時代" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/">
      <![CDATA[こんにちわ。
「日本人の起源を識る」のシリーズも後半に入ってきました。

これまで過去４回の記事で列島を取り巻く<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/12/001330.html">縄文時代前後の気候・地形状況</a>、最初に列島に渡来した<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/10/001331.html">「Ｃ３」、</a>縄文時代、縄文人を形成したと推測される<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/10/001332.html">「Ｄ２」</a>を見てきました。また前回はそれらを受けて日本人の基層になっている<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/11/001344.html">言語</a>という観点で日本人の起源を俯瞰してきました。前回の記事で日本語＝母音言語という観点からD2とＣ１の混血、あるいは文化的交流が日本人の原点にあるのではないかとの指摘をしています。

今回は前回の記事で提起された日本人のもう一つの起源、「Ｃ１」に注目していきたいと思います。
日本で南方から渡来してきたのはY染色体にC1遺伝子を持つ民です。以降「Ｃ１」と略します。この民族の特徴はＤ２同様に世界的にも日本にしか存在しない亜種です。
まずはＣ１の日本での分布構成を見てみましょう。

<span style="color:#FFAE35;">　　　沖縄　九州　　徳島　静岡　東京　青森　アイヌ
C1　　４％　４％　１０％　５％　１％　８％　０％</span>

現在では非常に少数しかいない<span style="color:#FFAE35;">Ｃ１</span>ですが、列島各地に一定程度分布しているという見方もできます。日本海側のデータがないので何とも言えませんが、概ね太平洋側西日本各地に分布しています。この<span style="color:#FFAE35;">Ｃ１</span>は後に紹介する日本でＤ２に次いで多いO2ｂやO3と異なり、後から日本列島に入ってきた後発隊ではありません。

<span style="color:#ff3300;">かなり初期にそれも縄文人の形成時期にＤ２と同様に日本列島に辿り着き、縄文人を形成している集団である可能性がかなり高いのです。</span>その意味でC1の追求は日本人の起源を考える上で重要な内容を含んでいると思われます。

それではいつものポチッを押して読み進んでください。
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      <![CDATA[<span style="color:#ff3300;">【ヤンガードリアスという寒冷化がＤ２とC1の混血を促進した】</span>
まずはD2の流入時期ですが、先の記事でおおよそ1万6千年前から1万3千前年前という仮説を立ててみました。これは元々採集民であったＤ系統が急激な寒冷化で定住地を捨てて落葉樹林帯に併せて日本に入り込んだという仮説です。
この1万6千年前と1万3千年前は共に寒のもどりという急激に寒冷化する時期に相当します。この2度の寒冷期に日本に入り込んだ集団が土器を有したD2の民だと考えられています。
このドリアスと呼ばれる寒冷期は数百年単位の寒冷期間ですが、おそらく1万6千年前から入り込んだＤ系統はその後温暖化してからも九州にしかまだ広がっていない落葉樹林帯の中で分布していたのだと思われます。従って、この時代に本州での土器はまだ多くは見つかっておりません。

1２５００年前の温暖期についに九州と大陸が海流で切り離され、Ｄ２は日本列島に封じ込められます。さらに、この時代ヤンガードリアスという急激な寒冷期に突入します。その後約千年間の寒冷期が続き、アジア大陸では平均気温が9度も低下するなど高緯度での生存はほとんど不可能になります。日本に定着して既に数千年を経過して人口も一定増えていたD2もこの寒冷期にかなり減少し、また温暖な地を求めてひたすら南下するしかなかったと思われます。大移動といかないまでもＤ２が南に集結したことは容易に予測できます。

<span style="color:#ff3300;">【Ｃ１の漂着と生産様式】</span>
一方、<u>Ｃ１は既に１万３千年前頃には南九州に到達しています。</u>
２万年前の温暖期に大陸が沈みはじめ大移動が起きた<strong>スンダランド難民</strong>の一部が黒潮に乗って流されたのが九州南端やその周辺の島々に住み着いたのがC1の民でした。<strong>貝文文化</strong>とはこうして始まり、日本最初の半定住（栫ノ原遺跡）を始めます。
<table align="left"><tr><td><img alt="%E3%82%AB%E3%82%B3%E3%82%A4%E3%81%AE%E5%8E%9F.jpg" src="http://www.kodai-bunmei.com/blog/img2011/%E3%82%AB%E3%82%B3%E3%82%A4%E3%81%AE%E5%8E%9F.jpg" width="232" height="223" />
４が 栫ノ原遺跡（その他も縄文草創期の定住遺跡）</td></tr></table>



 
彼らは燻製の技術と漁撈の為の石器を備えていました。
そして彼らの最大の特徴は黒潮を渡ってきた舟の技術です。日本最古の舟を削り出す為の石斧を使いこなしていました。温暖期には中九州、北九州にD2、南九州にC1と住み分けて暮らしていたと思われますが、<u>ヤンガードリアス期にはこの距離が一気に縮まり、Ｄ２がＣ１の生活圏に入り込むようになったと思われます。</u> <br><br>
 <br><br> <br><br> <br><br><br><br>
 <span style="color:#ff3300;">【極寒期は九州の南北には気候格差があった】</span>
ここで移動したＤ２の人々に同化する為にこの時期の気温を予想してみたいと思います。

２００キロそこそこしか離れていない北九州（福岡）と南九州（鹿児島）は現在でも年間平均気温で１．９度、１月の平均気温の差は２．８度の差があります（気象庁データ―を元にした下記の資料参考に）

<span style="color:#009933;">福岡　９．８度（１月）　２０．５度（平均）
熊本　１０．３度（１月）２１．６度（平均）
鹿児島　１２．６度（１月）２２．４度(平均)</span>

<u><strong>平均気温より冬の温度差が大きい</strong>⇒これは黒潮が直接当たる鹿児島が暖流の影響を受けて冬季には暖かいという特徴を示しいています。</u>
ヤンガードリアス期は大陸ほど（マイナス９度）ではないにせよ、平均気温で５度から６度は低下していた可能性があり、そう考えると福岡は１月には<strong>平均３．８度、鹿児島は６．６度</strong>になります。
しかし低緯度では寒冷化の影響が少なかった、さらに鹿児島は暖流の影響が多きかった事から鹿児島の６．６度は数度暖かかった（<strong>おそらく８度から１０度</strong>）可能性があります。<u>そのように設定すれば、この時代、南九州に限って何とか採集民が生存可能な環境にあったと</u>考えることができます。

<span style="color:#ff3300;">【D2とＣ１の混血はいかにして行われたか】</span>
前回の記事に以下のような問題意識が提起されました。
<span style="color:#CC6600;">＞Ｃ系統は1.8万年前ごろ母音言語を携えてスンダランドへ到達。
1.5万年前ごろよりスンダランド海没がすすみＣ系統の人々はしだいに東部方面→ポリネシアへ拡散を開始。北方への拡散も進み、日本･九州の南端へ1.2万年前ごろ到達（Ｃ１系統の貝文文化）。そして、彼らの母音言語は、当時、寒冷期ゆえ九州に留まっていたＤ２系統へ受け継がれ日本語の源流となる。（ここのメカニズムは次回の投稿で明らかにする予定です！）</span>

この問題意識をもう少し噛み砕いておきます。 :m275: 

縄文人の祖先であるＤ２は南方民族ではありません。元々はインドの東側にいた民族が温暖化と寒冷化で移動する森を追って北へ、東へと移動してきた森の民です。Ｃ３や０３といったサバンナ地帯にまで広がった北方民ではありませんが、南と北の間、ちょうど温帯地方を経由してきた民です。

しかし上記に書かれているように<u>母音言語に見られる日本語は南方圏の言語であり、その言語をどこかで民族の融合によって、それもかなり長い期間、意識的に獲得しなければＤ２民が南方言語を自集団の言語とする事はなかったと思われます</u>。日本語は縄文時代を通じてＤ２が日本国土に広がり、その言語形態を拡散することによって日本人の基層が出来上がっていきました。<u>Ｄ２がいつどこで南方言語を手に入れたのか、またなぜ彼らが南方言語を使い続けたのか、そのメカニズムがこれから展開する論点になります。</u>

先にも述べたように<u>Ｄ２はＣ１の居住域に近接、中にはその生活圏に入らざるを得なかった</u>のです。民族と民族がぶつかれば縄張りを巡り睨みあい、戦争が始まる
というのが歴史の基本パターンと考えられていますが、このＤ２とＣ１の接触はそうではなかったと考えます。<u>Ｄ２はＣ１と遭遇し、その中で生きていく上でまず、相手方を注視し、彼らが用いていた言語を吸収、理解しようとした。さらには彼らと会話（コミニュケート）する為に言語を用いるようになった。</u>Ｄ２がＣ１の言語を取り入れたのはそういう動機ではないかと考えるのです。

<span style="color:#CC6600;">実際この事は私たちの生活体験からも容易に想像できます。例えば何らかの事情で急に大阪で生活する事になった東京の人の場合、特に子供であればあっという間に大阪の言葉を覚え、いずれ東京の言葉を忘れてしまい２年もすればほぼ完全な大阪人になっていきます。その時の意識は、友達を作ったり、皆と仲良くしたいと言う素朴な意識です。郷に入れば郷に従えという言葉にもありますが、その土地で暮らす為にはその土地（集団）のルールを身につけるというのは殆ど本能に刻印された同化能力の一つなのです。 :lol: </span>

ヤンガードリアス期は約１３００年続き、その間にＣ１とＤ２が混血、文化的には同一のものになっていったのだと思います。さらに同一とは言ってもその大半が<u>南方的要素を持つＣ１にＤ２が同化していったのではないか</u>、そう考えるのです。

ただ、元々森の民であるＤ２と海洋民的素養のＣ１はその後の動きは異なっています。
ヤンガードリアスが明けて、再び温暖化が始まると、Ｄ２の民は再び森林に併せて北上拡散していきます。やがて縄文中期には青森から北海道まで進出し、縄文文化の基層を作っていきます。一方のＣ１は海洋民であり、九州南端で暫く定住を続けますが、約７０００年前に起きた<u>鬼界カルデラの噴火を機に関東、四国、そして沖縄に分散していき、それぞれの地で海洋文化としての縄文文化を展開していくのです</u>。

:<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/image0021.html" onclick="window.open('http://blog.kodai-bunmei.net/blog/image0021.html','popup','width=524,height=868,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img alt="image002.gif" src="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/image002.gif" width="300" height="500" />
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<span style="color:#ff3300;">クリックすると拡大します↑</span>

<span style="color:#FFAE35;">このＤ２とＣ１が織り成す縄文文化はその後、森の民⇒栽培、採集民、海洋の民⇒漁撈民としてそれぞれの文化的特徴を備えた複合的なものとして縄文文化を醸成し、現在の日本人に繋がっていると思われます</span>。また、彼らが１万年間決して争わず、互いに理解しあえたというのはひょっとするとヤンガードリアス期の南九州での出会いと言語的融合にあったのかもしれません。

<span style="color:#ff3300;">【まとめ】</span>
<strong>①採集、定住と土器を特徴とする縄文文化は九州から始まる。</strong>
<strong>②大陸から来た森の民、Ｄ２と南洋から漂着したＣ１が九州の南北に分かれて居住</strong>
<strong>③極寒冷期に南へＤ２が移動し、Ｃ１居住域へ合流、九州南端で２つの文化が融合する。</strong>
<strong>④移動した側のＤ２がＣ１の言語を獲得し、１０００年間の間に言語が統一される。</strong>
<strong>⑤温暖期にＤ２が本州へ移動、北へ居住域を拡大し、Ｃ１言語である母音言語を統一言語、縄文語として列島に広める。</strong>⇒既に縄文時代には現在の日本語の祖語が全国に広まっていたとする根拠に繋がる

<span style="color:#ff3300;"><strong>日本人が多民族の集合体であるにも関らず、単一民族、同じ共認域で存続できたのは言語の統一の要因が大きいのではないだろうか？</strong></span>]]>
   </content>
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   <title>シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」～カタカムナとは何か～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/03/001382.html" />
   <id>tag:www.kodai-bunmei.com,2012:/blog//1.1382</id>
   
   <published>2012-03-24T13:21:28Z</published>
   <updated>2012-03-31T07:57:27Z</updated>
   
   <summary> ここからお借りしました シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」～プロローグ～からの引用 ＞始原人類は、過酷な外圧を乗り越えるために自らの持てる能力を最大限に駆使して生き残ってきたに違い有りません。 その為には、五感を研ぎ澄まし、本能～共認～観念を直結させる事で物事を捉え、潜在思念に導かれながら思考し、判断してきたと考えられます。 中略 観念思考に代わる上古代の潜在思考、そしてこれを可能とする直感力と豊かな潜在思念の追求は、このような現代社会の諸問題に対する突破口を見出すヒントになるのではないかと考えます。今、「カタカムナ」を追求する意味はそこにあると考えています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 引用終わり。では  :m221: 「カタカムナ」とは何か？ を大きくとらえてゆきたいと思います。 いつもの応援を宜しくお願いします。    ...</summary>
   <author>
      <name>sakashun</name>
      
   </author>
         <category term="Ⅰ文明前夜・石器時代・巨石文明" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/">
      <![CDATA[<img alt="%E9%8A%80%E6%B2%B3%E7%B3%BB%E3%80%80.jpg" src="http://www.kodai-bunmei.com/blog/img2011/%E9%8A%80%E6%B2%B3%E7%B3%BB%E3%80%80.jpg" width="250" height="185" />
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シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」～プロローグ～からの引用

＞<u>始原人類は、過酷な外圧を乗り越えるために自らの持てる能力を最大限に駆使して生き残ってきたに違い有りません。
その為には、五感を研ぎ澄まし、本能～共認～観念を直結させる事で物事を捉え、潜在思念に導かれながら思考し、判断してきたと考えられます。
</u>
中略

観念思考に代わる上古代の潜在思考、そしてこれを可能とする直感力と豊かな潜在思念の追求は、このような現代社会の諸問題に対する突破口を見出すヒントになるのではないかと考えます。今、「カタカムナ」を追求する意味はそこにあると考えています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
引用終わり。では

 :m221: 「カタカムナ」とは何か？

を大きくとらえてゆきたいと思います。

いつもの応援を宜しくお願いします。
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      <![CDATA[<img alt="f88e9fd7%5B1%5D.jpg" src="http://www.kodai-bunmei.com/blog/img2011/f88e9fd7%5B1%5D.jpg" width="250" height="161" />
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まず、カタカムナが生まれた時代とその思考方法を記載します。

<a href="カタカムナ研究　「第六部　カタカムナ解読　直感鍛錬」">カタカムナ研究　「第六部　カタカムナ解読　直感鍛錬」</a>より引用

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カタカムナ時代は、氷河期の旧石器時代で、象も居り、火山の爆発、地殻変動、海面変動、その他気象の異変も考えると、天然自然が変動の時代で、カタカムナ人自身もまだ移動生活が続いていたことも考えられる。 :roll: 
中略

<img alt="%E8%83%8E%E5%85%90300px-Human_fetus_10_weeks_-_therapeutic_abortion%5B1%5D.jpg" src="http://www.kodai-bunmei.com/blog/img2011/%E8%83%8E%E5%85%90300px-Human_fetus_10_weeks_-_therapeutic_abortion%5B1%5D.jpg" width="250" height="188" />


「相似象誌、第十一号、第五､六首、２３２頁」には、次の一文がある。
『<u>カタカムナ人は、今我々現代人が使つている日本語は、何も持つていなかつた、ということを、読者はもう一度、よく考えて頂きたい。カタカムナ人は､今、我々が持つている様々な智識は無く、たとえば「脳」という言葉も、「生命」という言葉も、無かつた。</u>人類としての（われわれ現代人と同等の）基本的な生命力（感受性と判断力）を以つて、自分たちの感受し判断したモノを、四十八のコトバを造つて、表明したのである。
それ故、カタカムナのサトリをわかりたいと思えば、我々も、現代人の智識や常識のままで読むのではなく、人間が本来もっていた、最も基本的な正直な感受性と判断力になった気持ちで読むのでなければ、わかりようがないのだということを、もう一度よく考えて（自分自身を逆序して起励して）、読み進んで頂きたい。』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
引用終わり

<u>「現代人の智識や常識のままで読むのではなく、人間が本来もっていた、最も基本的な正直な感受性と判断力」があると言っているようです。冒頭の、「五感を研ぎ澄まし、本能～共認～観念を直結させる事で物事を捉え、潜在思念に導かれながら思考し、判断してきた」ことを指すのでしょうか。</u>


○以降は<a href="ｳｨｷﾍﾟﾃﾞｨｱ「ｶﾀｶﾑﾅ文明」">ｳｨｷﾍﾟﾃﾞｨｱ「ｶﾀｶﾑﾅ文明」</a>から引用・補足します。以下、引用

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【概要】
　縄文時代以前、旧石器時代末期に存在したとされる。極めて高度な科学技術や独自の哲学体系を持っていたことが、<u>神代文字で記された文献（通称「カタカムナ文献」）から推測される</u>が、この文明の存在を示す遺構や遺物は、この文献以外は見つかっておらず、原本の所在も不明である。<u>日本で初めてカタカムナ文明の存在を唱えたのは楢崎皐月である楢崎は古事記や日本書紀等を参考に、5年をかけて「カタカムナ文献」の解読に成功。その内容が自然科学的な実用書であった事を突き止めた。</u>この文字はそれが祀られていたとされる神社の名から「カタカムナ文字」と呼ばれ、その文字を使用していた文明として「カタカムナ文明」が提唱された。

<img alt="%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%82%80%E3%81%AA%5B1%5D.jpg" src="http://www.kodai-bunmei.com/blog/img2011/%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%82%80%E3%81%AA%5B1%5D.jpg" width="240" height="237" />
<a href="ここからお借りしました">ここからお借りしました</a>


【カタカムナ文献 】
　<u>古史古伝のひとつ。「カタカムナ文明」の実在を示しているとされる書物である。カタカムナ文字によって記された80首の詩歌で構成されており、</u>第1首が「カタカムナ ヒヒキ マノスヘシ アシアトウアン ウツシマツル カタカムナ ウタヒ」と解読された事から、『カタカムナのウタヒ』、略称『カタカムナ』と呼ばれる。古史古伝の研究者である吾郷清彦は「神名歌集」と称している。また『平十字文献』とも呼ばれる[要出典]。原本は所在不明の「カタカムナ神社」の御神体とされており、江戸時代に作成された巻物であるとされる。この左から右へ開かれる長い巻物の中に80個の渦巻状の文字（カタカムナ文字）で記されていた。文中に「アシアトウアン ウツシマツル」という言葉があり、この「アシアトウアン」という人物が写本を作成した可能性が高いともいわれる。またその語感から蘆屋道満との関係を主張する人もいる。<u>内容は全てカタカムナ文字で構成された詩歌の形で書かれており、生命の本質や宇宙全体の構成について記されているという</u>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
引用終わり

次回は、「カタカムナの世界観」を、日本の上古代人の潜象科学＝カタカムナを研究した楢崎皐月氏の発言他を通じて掘り下げてゆきます。

お楽しみに！！ :m161:  :m161: 
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   </content>
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   <title>縄文考　“ヤマト”とは何か？－序－</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2012/03/001381.html" />
   <id>tag:www.kodai-bunmei.com,2012:/blog//1.1381</id>
   
   <published>2012-03-24T03:00:00Z</published>
   <updated>2012-03-29T14:24:42Z</updated>
   
   <summary>みなさんこんにちは。 今日は、以前　当ブログで紹介させていただいた、「ツタ考」の作者のfirstoilさんの新シリーズを紹介させて頂きます。 firstoilさんは画家を専業としつつ里山保全等も活動されており、また「ツタ考」のよう日本人の持つ潜在感覚とに歴史事実に基づいて、縄文由来の世界観を洗練された表現で伝えてくれる方です。 今回は出来たてホヤホヤの新作　シリーズ「縄文考“ヤマト”とは何か？」の序文を当ブログで紹介させていただきます。 実際の中身の検証については序に続く本編で展開されていきますが、なぜヤマトに着眼しようとされたのか、この序を読むとわかるような気がします。 それでは、“ヤマト”の世界をご堪能ください。 応援のクリック :m092: をお願いします。     ...</summary>
   <author>
      <name>shinichiro</name>
      
   </author>
         <category term="Ⅱ縄文時代" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/">
      <![CDATA[みなさんこんにちは。
今日は、以前　当ブログで紹介させていただいた、<a href="http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/11/001335.html">「ツタ考」</a>の作者のfirstoilさんの新シリーズを紹介させて頂きます。
firstoilさんは画家を専業としつつ里山保全等も活動されており、また「ツタ考」のよう日本人の持つ潜在感覚とに歴史事実に基づいて、縄文由来の世界観を洗練された表現で伝えてくれる方です。
今回は出来たてホヤホヤの新作　シリーズ<span style="color:#009933;">「縄文考“ヤマト”とは何か？」</span>の序文を当ブログで紹介させていただきます。
実際の中身の検証については序に続く本編で展開されていきますが、なぜヤマトに着眼しようとされたのか、この序を読むとわかるような気がします。

それでは、“<span style="color:#009933;">ヤマト</span>”の世界をご堪能ください。


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      <![CDATA[　　　　　　　　　
:m146:  :m146:  :m146:  :m146:  :m146:  :m146:  :m146:  :m146:  :m146:  :m146:  :m146: 
<strong>－序－</strong>

東日本大震災から一年が経ち、復興に向けて人と人とが“つながる”ことが重要視されています。この震災により日本人同士の“絆”を再確認することとなりました。

私たちは未曾有の震災から言葉を失い、徐々に復興に向けての言葉を産み出しています。
２０１１年をあらわす漢字は“絆”になり、“つながろう”も多く使われるようになりました。

この文章は“ヤマト”についての論及ですが、今の私たちにとって大切な言葉である
“つながろう”と“絆”を最初に取り上げて考えます。
<a href="http://www.kodai-bunmei.com/blog/img2011/%E3%81%A4%E3%81%AA%E3%81%92%E3%82%88%E3%81%86.jpg"><img alt="%E3%81%A4%E3%81%AA%E3%81%92%E3%82%88%E3%81%86.jpg" src="http://www.kodai-bunmei.com/blog/img2011/%E3%81%A4%E3%81%AA%E3%81%92%E3%82%88%E3%81%86-thumb.jpg" width="400" height="181" /></a>

“繋（ツナ）がる”と漢字表記されますが、読みは名詞の“綱（ツナ）”と同じ音です。
“繋がる”の意味は
①つらなり続く。継続する
②ひかれる。ほだされる。
③結ばれる。関連する。（広辞苑より）
となります。“繋がる”の意味は“綱”の形状と関連する内容を多く含みます。
であるなら、名詞を動詞化して“つながる”になったと考えられます。

“絆”の語源は「動物をつなぎとめる綱」「引き綱」のことをいい、
「動物や人を束縛して動けなくする」ことから転じて、
「人と人の強い結びつき」「断ち難いつながり」という意味になったようです。
読み方は“キヅナ”と表記されますが、ここにも“ツナ”が使われています。

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どちらにも“ツナ”が使われています。だとしたら
震災後、日本人に必要な言葉には<strong>「ツナの思想」</strong>があるのではないでしょうか。
そしてそれは「縄文土器」と結びつきます。唐突に感じるかもしれませんが
縄文土器には装飾に“縄目文様”が施されています。
土器のカケラをみつけると必ずと言っていいほど縄を押し当てて転がしてできた縄目文様があります。
“縄（ナワ）”も“綱（ツナ）”も繊維を螺旋状に撚り合わせたロープですが、違いは太さにあります。装飾の意味は綱(ツナ)に隠されています。
縄文土器の縄目文様は“綱文様”と解釈することにより文様に込められた思いが理解できるのではないか、そのように私は考えています。
縄文土器に施された“綱文様”は人と人が繋がり合うことの重要性を説いた
<strong>「ツナの思想」</strong>を表します。

縄文時代における「ツナの思想」とは、どのようなことを重要視していたでしょうか。
縄文時代の社会状況から考えると、それは「生きること」「続くこと」が中心になります。
そのため、男女の性交によって“ツナがる”こと、そして子や孫に命が“ツナがる” ことになります。
それは「気が遠くなる程つづく、血縁関係や共同体に自らの存在を実感する」という
思想になります。
  
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もうひとつ、現在もっとも重要なのは
「人と人が助け合う相互扶助の“ツナがり”」です。 
私は言葉の“ツナ”に込められた思いを考えると、日本語とは縄文人が積み上げて作り出した「ヤマトコトバ」であることを強く感じます。

これから<u>日本語（ヤマトコトバ）は縄文時代から続く言語である</u>という前提に立ち、
「<u>ヤマト</u>コトバ」の“ヤマト”にはどのような意味があるのかを推論します。

そこに縄文時代から続く祖先の知恵があると考えられるからです。

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大和魂、大和撫子、確かに現在でも私たちはこの言葉を使う時に何か特別な思いを込めているようにも思います。そのヤマトがわずかに短い期間ですが、日本の国称になっていました。最初についた日本の名称はヤマトだったのです。きっと何か意味があるに違いない。
この序のfirstoilさんの問題意識に同化すれば、このヤマトの意味を追求する事が私たち日本人の意識の解明に一石を投じるのではないかとわくわくしてきます。
前回のツタ考は何度も推敲を重ねた美しい文章でした。これから紹介していく今回の“ヤマト考”の本編は美しいというより、著者がどきどきしながら追求している過程が伺えます。当ブログへの寄稿は少し先になりますが、本編の掲載を、せひご期待下さい。
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